2020年12月31日木曜日

惡の読書日記 自由への手紙 オードリー・タン(語り)

 2020年 12月 31日


年末年始は、貯まった積み上げられた本を読みまくる予定だったが、ここに来て本を更に買いまくる日々である。自己投資ほど利回りが高い投資が無いと解っているなら、やらない手はないので自己資産を本代に回してアウトプットするのだが、結局それをどうやって現金化するのか解らないのであるが、株を買っていつ売ればいいのかが完璧な判断が出来ないのと同様ではと納得しているが、マネタイズするのはこれからである。



一昨日購入した、オードリー・タン(語り)の『自由への手紙』。雑誌クーリエ・ジャパンがオンラインにて台湾のオードリー・タン氏に数回のインタビューを行い出来上がったこの本は、日本に住む若い世代に向けて出版社が製作した本であるが(帯によると)、実際読んでみると若い世代に向けにするのは明らかにナンセンスの講談社だと、既にこの時点でオードリー・タンの「自由」というコトバの意味から外れている。(単なる宣伝文句ならいいのだが、本当に若い世代向けのつもりだったら?)
本書を読むと、本当に日本は将来大丈夫かと心配になる。台湾は国土が日本よりも小さいから、日本よりも政策の浸透性が速いと考えていたら、それは狂気のさたである。台湾の政治は透明性で多種多様な文化やなんやらを受け入れている。恥かしいながら台湾にには20もの文化(言語)があるそうで、そこへ大陸からやってきた漢民族も含めて人種のるつぼなのである。色々な文化をお互い認識しあって進む政策は中国の様に、漢民族しか存在しないという思想のもとで巨大な土地と人口を動かす不透明な国家とは真逆なのである。いくらスピードがあっても中国の政府は日本と同じ不透明であり、実質は進まないのと同じである。
つまり、日本は中国よりも国土も人口も小さく、台湾よりも国土は大きいし、人口も多い。しかし政治が不透明。多種多様性を認めない、移民なんてもってのほか難民なんてこないで!といってる国なんである。これで国家ととして進歩も前進もあるのかと。

今年、いわゆる今回のコロナ騒動で日本という国の愚かさ、政府の愚かさ、国民の偶民化が非情にも理解できた。日本も台湾もマスクが不足したという同じ状況になったがどうやってそこを抜け出したか。その点は説明不足の内容なので詳細は書かないが、単にマスクが国民にうまく行き渡るシステムを速攻作り上げた台湾だが、そこには年寄りが薬局に並ばなくてもいいような細い配慮も含んでの複雑なシステムでありながら見事に解決して成り立っているということ。また小学生の男子にピンク色のマスクが渡ったことで、小学生男子にしてみれば、ピンク=女子という感じで、マスクを付けて登校することが恥ずかしく登校拒否なった子供の為にした政策が面白く、前述の多様性を認める一貫であると考えるのは想像しやすく決して難しくはない。
こういったことを日本でも出来るのか?出来たのかと考えると?考えるだけ無駄な気がする。気がするのではなく事実であり現実である。

昔は、台湾の人が日本に追いつけだったり、日本の事例を参考にしてきたが、そんな時代は過去の話である。我々は一歩も二歩も周りの国より遅れているのである。隣の韓国には文化で追い越され、台湾にはテクノロジーで追い越され、中国には経済で追い越されてている、にも係わらずいまだに日本の実力はこんなものでは無いと自信満々な人々と現実を理解していない人が多いのは驚きだ。

追い越し追い越されという低次元な議論を外して、日本が正常になるには、「自由」になることだと、日本に住む我々が自由にならなければいけない。「えっ?自由って何?」それにはどうすればいいのだろうか?何から「自由」になればいいのだろうか?とそのヒントがこの本にはいくつか載っているのだと思う。
オードリー・タン曰く、自分が自由になれるだけでなく、みんながみんなを自由にする為に行動を起こせたら、凄いことです。自由をお互いにシェアしよう、と。
 
勿論本書のどの自由を選ぶかは、読み手の自由である。
 
 

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