2021年2月20日土曜日

惡の読書日記 フェイス・イット デボラ・ハリー(著)

2021年 2月 20日

昨年下旬より、ミュージシャンの自伝や、自殺でこの世を去ったミュージシャンを調査して書かれた模擬自伝みたいな書籍をよく読んでいる。実質は小説的だったりしたりするのだが世間で売れまくっている恋愛小説やちょっとしたビジネス書や自己啓発書よりも遥かに強烈な内容が出てきたりする。勿論学ぶところは非情にかつ非常に多い。そこには普段考えられような価値観の世界や、華やかなジョービジネスの世界の裏側や、華やかでも無いパンクロックの世界の汚い真実など描かれていて実際はこうだったのか?と思うだけでなく、考えさせる部分が大きい。そしてこのての本はやはり翻訳家の素晴らしき業績で成り立っているということも自覚して読み進める必要がある、翻訳の浅倉卓弥氏の素晴らしき業績で本書は日本語版として成り立っているのである。


本書はデボラ・ハリーの凄まじき自伝である。デボラ・ハリーは1970年代半ばにブロンディーというバンドで世界を股に掛けて活動していたバンドのヴォーカリストで、中心的人物の一人である。今年で70云々歳であるが、ブロンディーは今でも活動を続けている。もし、ブロンディーがこの世に居なかったら、マドンナも居なかったという位のレベルのバンドであり、ミュージシャンである。それ程ブロンディーの影響力は大きかったのである。

もっと凄いのは、ブロンディーはレコード会社が中心となって結成されたバンドなんかではなく、ニューヨークのアンダーグラウンドシーンから現れて、地道な活動の末に結果として世界を股に掛けるバンドになったことである。

このデボラ・ハリーの自伝を読んで、今まで認識していたブロンディーについての幾つかの事が間違っていたり、知らなかった以外な事実が幾つもあったことだ。

1つは、ブロンディーは完全なパンクパンドであること・・・
デボラ・ハリーは今まで誰もやったことのないことに挑戦していた。それが彼女がいう生まれながらのパンクということである。音的に言えば、キーボードをメンバーに加えたり、ラップもロックに取り入れたのは実はブロンディーが最初だったりと、規定の概念を壊して行くこそがデボラ・ハリーの信念だったそうだ。彼女のソロアルバムは、ブロンディーが活動中に製作され、黒人と白人を同時に扱ったアルバムを作りたかったという理由だそうだ。その為、プロデュースは当時無名であった黒人ミュージシャンのナイル・ロジャースに依頼したのであった(後にデビッド・ボウイやマドンナを世界的に有名にしたプロデューサーである)。1980年にそんなコンセプトで音楽を製作しているミュージシャンなんて居なかったのが事実であり、今だからそれが普通なのである。ジャケットも当時映画エイリアンで有名になったハンク・R・ギーガに依頼して描いてもらったのだが、レコード店からはこのジャケットでは店頭に並べられないと苦情が来たくらい出来過ぎたジャケット、これぞパンクである。

 また、相棒のギターリストであるクリスは写真家でもあり、その彼との人間関係も上手くバンドの活動に好機をもたらしたと言える。

2つめは、ブロンディー解散後にデボラ・ハリーが破産したこと・・・
あれほど売れまくったバンドがバンド解散後に破産したと言えば、バンド活動中に投資に失敗したとか考えてしまうがそうではなく、雇っていた金融関係者がきっちりと税金を納めていなかったり、納めていないのに税金対策で家を買うように推めて豪邸を買わされたりと、未納の税金の支払なんかで破産に追い込まれたらしい。ブロンディーの活動中は忙しすぎて休みもなく働いていたので、知らない間にとんでも無いことになっていたそうだ。解散の理由の一つがパートナーであり、ギターリストのクリスの大病にもかかわらず、闘病中に政府によって健康保険を剥奪されるなど実に怖ろしい話なのである。彼女曰くレコード会社はブロンディーが売れれば売れるほどブロンディーから貪り続けたそうである。英米のミュージシャンの話でよくマネージャーの手腕でバンドが売れる、売れないという話がよく出てくるが、ブロンディーが契約したマネージャーが相当酷い人間だったらしいが複数年契約していた為、馬車馬の様に余裕もなく働かされていたそうだ。もし、違ったマネージャーでもブロンディーは売れていただろう。そして音楽性はもっと多様性のある音楽になっていたのでは無いだろうか・・・。

3つめは、デビッド・ボウイとイギー・ポップがブロンディーを前座にしてツアーをしていたこと・・・
70年代後半のボウイとイギーのライブツアーの前座はブロンディーだったらしく、彼らからのオファーだったそうだ。最近このボウイとイギーの音源が公式盤で発売されたが、実は前座はブロンディーだった。ボウイもイギーもブロンディーが好きだったらしく、前座なのに相当扱いが良かったらしい。やはりボウイは本当にいい人なのだと改めて認識したしだい。ちなみにこのツアーはボウイはひたすらキーボードを弾いているだけである。

と、あれこれ書いていけば切りがない。面白すぎるし、何かと考えさせられるのだ。

そしてブロンディーの再結成は、ただ昔を懐かしく懐メロを演奏するバンドでなく、新譜もだしてきっちりとしたバンドとして活動するとい条件で再度活動再開をしたそうである。まさにこれこそである、俗にいる過去の曲ばかり演奏して客受けを狙うことはしないというデボラ・ハリーのパンク精神は晩年も健在なのである。
映画「死ぬまでにしたい10のこと」でニルヴァーナのライブで出会った二人が結婚して生活を送っているストーリーでお祖母ちゃん役で出演しているデボラ・ハリーであるが、実際に年齢で言えばお祖母ちゃんだけど、それ以前に真のパンクなのだとデボラ・ハリーの事が心から好きになった。


最後に、この自伝に書かれた二節が、自分のココロから離れない・・・この二節の為に本書を読んでも十分である。

今の時代ロックンロールで生きていこうとしている人々は、なんというか私なんぞからすると、物事を相当四角四面に取り合い過ぎているに見えて仕方がない。だって、今やそいつは学校の教材の一つまでになっているのだ。でも、そういう持ち出され方はやっぱり全然違うと思う。私達はただ、あの頃のニューヨークで起きていた経済の衰退の、そのただ中に浮いたあぶくのさらにその内側へと閉じたこめられてしまっていたようなものだけだった。そしてそれがむしろ芸術面での強さでもあった。
(p.119より抜粋)

私は革新的な事をやりたかった。自分たちのことをニューウェーブと呼ぶつもりすらそもそもなかった。そいうい分類をしたのは多分批評家たちである。私たちが採っていたのは常にパンクの方法論だった。ただ目の前をぶち壊すのだ。ほかの人間が私に望んだり、あるいは期待したりしているようなことをやるのはうんざりだった。
(p.214より抜粋)


まさにデボラ・ハリーはパンクだ。
本書が、死ぬまえに読むべき10冊の本のうちの一冊になればと。

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