2021年6月20日日曜日

惡の読書日記 ワインの染みがついたノートからの断片 チャールズ・ブコウスキー(著)

 2021年 6月 19日


コロナ騒動もあり、色々なイベントや何やらと制限を受けている日常生活。しかし、そんな生活をいかに楽しみながら生きることを見つけて楽しまない限り苦しく疲弊してしまうのではないだろうか。幸か不幸か、通っていたフィットネスジムが休館したり、営業を再開してもフルタイムで働いている人が通える時間帯ではないので通えないときた、ということもありこちらのフィットネスジムは一時休会として24時間営業しているジムへ入会し朝からフィットネスクラブへ行っては走り込む日常生活を送り、コロナがなければ朝活というか、朝からフィットネスジムへ行ってランニングはしなかなかっただろう・・・ランニングが歯磨きと同じ位の日常になっているという生活を送っている。



そんな日常で、以前より読み進めていた尊敬する詩人、チャールズ・ブコウスキーの死後に発表された未収録+未発表文献集『ワインが染み付いたノートからの断片』をようやく読み終えた。ブコウスキーの日常は小生の日常とは真逆である。これまでこの本を読み終わるまで相当の時間を費やした。約400ページで字ばっかりの書籍である。これまで新聞や地方紙などに掲載されていた文献や、死後に発見された数々の未発表文献を一冊にまとめた内容であるが、これまでブコウスキーの未発表文献集がどれほど発表、発売されていることかと、おそらくまだまだ相当存在すると思われる。この本が2016に発売された書籍で、これ以外に数冊日本で発売されているが、海外ではこれ以上、特に詩集に関しては相当冊数が発売されていることから音楽で言えば、フランク・ザッパ並に未発表作品が残っていると思われる。
両者にとって共通点は、発表された未発表作品のクオリティは凄くいいことである。よく日本の昭和時代の歌手により未発表音源が収録された音盤を耳にする事があるが、こちらは「こりゃ未発表になるわな」という作品であると感じる事が多いんだが。

ブコウスキーの短編小説は主人公が、ブコウスキー本人が主人公である事が殆どの為、エッセイを読んでもこれがエッセイなのか、短編小説なのか、短編小説に見せかけたエッセイなのか区別がつかない事が多い。荒唐無稽の話は、これは短編小説だな・・・と判断できるのだが。
それがブコウスキーの文章の魅力であると思うのである。
また数々のブコウスキーの小説を読んでいると、過去に読んだ小説の内容のメモというか、プロトタイプ的なブコウスキーの小説の断片を読んでいる気になる。特に登場する女性については、ブコウスキーの女性遍歴を小説にした自叙伝的小説「women」に描かれたあれだな、と容易に判断というか想像できる次第。
それにしても相当の女性遍歴である。
俺はどうしてこんな今は居ないブコウスキーとなる人物のコトバを追いかけているのか?特に彼の詩に関しては殆ど日本で詩集が発売れていない(2冊しか発馬されていない)ので、勝手に自分で彼の詩を翻訳してネットのnoteにアップロードをしているしだい。
わざわざ、ブコウスキーの本を読みたいから、コロナシフトで平日の休暇には某所で籠ってブコウスキーの本を読み漁る行動にまで至っている。いったい俺は何者なのだ?と時々思うこともあるのであるが、この男の書くコトバにハマってしまったのだ。

そしてもう一つ、ブコウスキーは50歳にして作家になったのである。正確には、郵便局で働いていたが一応作家をもしていて、作家では殆ど生活できていなかったかったが、知り合った編集者から依頼を受けて50歳の時に郵便局の仕事をやめて作家一本で生活を始めたそうだ。そして詩を書き、小説を書き、アメリカでは普通である読書会へ行ってライブをやって作家として日々暮らしたそうである。奥さん(最後の)は彼の朗読会にやってきた客人である。年齢なんてのは、人生にそれほど意味がないのではないのか?ってブコウスキーが言ってる気がするのだ。
これは、アメリカンドリームでもなければ、カーネルサンダースおじさんのケンタッキーフライドチキン創業に至る定年後に地道に足で稼いで偉業を成し遂げたコツコツ真面目に努力する結果は素晴らしいという美談では全くない。
単にブコウスキーが日々ビールやワインで酔っ払いながら毎夜、毎夜、詩をカキ、コトバを綴り、タイプライターを押しまくっていた(タイプライターを売ってしまった時期もありこの期間はカクことはなかったそうだ、どんな作家やねん)・・・コトバで想像するのが好きな男がマネタイズをそれほど気にせず、カキまくり続けた結果、好きなことは誰に何を言われても続けるに限るという日々の生活の結果、時代がブコウスキーみたいな作家を求めていたことと偶然繋がったということだろう。ブコウスキーを作家でデビューさせた編輯者の才能も高く評価されるべきだと思う。

ブコウスキーのエッセイを読んでいると、真面目には程遠い日常でなのである。趣味は競馬(どれほど競馬の内容が小説、エッセイに出てくるか・・・)で、殆どコトバの中でも日常でもビールかワインを飲んでいる。さらに本書ではドラックまで手を出している(ドラックの使用については小説かエッセイか不明だった)。女性との話は前述の内容だ。カーネルサンダースの愚直な話とは正反対だ(年齢の差もあるのだが)。いつ何が起こるか解らないから、適当にでも準備しておけば対処できるということを過大評価すればブコウスキーの人生から学ぶ事ができるのだが、小説の内容から見ると過大評価の過大評価かもしれない。

しかし、
どんなことになっても、好きなことは絶対に続けるべきなのであろう、誰がなんと言おうと。
ブコウスキーの如く、日々アル中で酔っぱらっていても、
タイトルは『ワインが染み付いたノートからの断片』と、さまになるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿