2020年11月1日日曜日

悪の毒書日記 詩人と女たち チャールズ・ブコウスキー(著)

 

2020年 11月 1日

 8月半ばからブログを更新していない。本読まなかったのではなく、ブログの更新をするよりも読みたい気持ちと行動が優先してブログを更新することをすっかり放置していた。本来ならばインプットとアウトプットはニアリーにすべきなのだが、インプットが増えてしまった。
 
昔々、みた映画「水の中の8月」という不条理な映画。美人の女性死体とやってしまうという無茶苦茶な話。これを観た時は原作者も知らず、リュックベッソ監督がプロデュースした白黒映画で、楽しそうなの観にい行ったが、話の内容が前述の通りの内容だった。5,6年前にアメリカの有名な小説家の短篇集を買った。読んでいると昔観た映画の話ではないか。死体とやってしまう男の話。
原作のチャールズ・ブコウスキーというおっさんで既にこの世には居られない方で、凄い奴らしいと。いま考えると、どうしてこのブコウスキーの小説を読み始めたのか記憶がない。




二年前くらいに名前を知った本の編集者をしていまは作家もしている「モテる読書」の著者である長倉顕太氏が、チャールズ・ブコウスキーの大ファンで前述の短篇集が相当気に入ってるらしいことが解った。それを機になん度かこの短編集を読みなおしたり、他の著作を探したりしている。「チャールズ・ブコウスキー」とAMAZONで検索すると、日本語訳になった小説が20点くらいヒットしてくると思う。ここ一年くらいは絶版になった本が別の出版社から再発されているので実際のヒット数は40点以上であると思う。
そしてこの短篇集は明らかに面白いのだ。映画の原作になったとんでもない話もあれば、趣味の競馬の話をテーマにした話。それはまるで著者本人の経験した話から大きく誇張して話を作り上げた感じがうっすらと感じとれるのである、それが事実かどうかは不明だが。また、ロック好きの長倉氏が面白いという感覚が解らないではない気がする(長倉氏も競馬好きな事がブコウスキーと合うのだろう)。

ここ最近、ブコウスキーの本が読みたくなり、AMZONやメルカリでブコウスキーの本を探し求めるありさま、正に貪るようにブコウスキーの本を探して購入している。その中でもブコウスキーの詩集は日本語訳では二冊しか発売されておらず。二冊とも既に絶版なのであると解った。どうしたことか、これはどうにかならないかと思うところである。
 
そんな中で買った一冊の分厚いブコウスキーの小説。
『詩人と女たち』、原題名は『WOMEN』である。


 
読む前に本のタイトルは「詩人と」は不要で、「女たち」とか「ウーマン」だけでもいいのではないか?と思ったが読むに連れて、日本語版のタイトルの意味が解ってくる。ブコウスキーという人の女性との関係を偽名で淡々と書き綴ったのが本書である。つまり女性との関係を本にした自叙伝なのである。多少は話しを大きく誇張したり、内容を変えたりはしているのだろうが、登場人物はブコウスキー本人なのである(一応、ブコウスキーではない。ヘンリー・ナチスキーこと通称ハンク)。主人公の通称ハンクことブコウスキーの女性との関係、電話が掛かってきたとか、空港まで迎えに行ったとか、挿入したとか・・・次から次へと女性との話が続く。
そしてハンクの職業は詩人なのである。アメリカ中のイベント会社や大学とか主宰者から、詩の朗読会のオファーが来て、ブコウスキーは女性との関係の隙間にアメリカ中を飛走り回るのである。時には女性と一緒に・・・。
AMAZONでブコウスキーを検索すると海外の出版社で詩集が非情に多く出版されていることに気がつく。日本では二冊しか出版がなく既に絶版なのだが海外では未発表詩集とか選び抜かれたベスト盤みたいな詩集とか、死後にも相当詩集が出版されているようである。
多分、ブコウスキー本人は、小説を書くことよりも詩を書くことに自分の力を注いで「詩人 チャールズ・ブコウスキー」でいたかったのではないだろうか?その為自伝的小説に出てくる架空の自分自身は小説家でなく詩人なのではないだろうか?いや、ひょとしてブコウスキーを知っている日本人の大半が、彼のシゴトは小説家であると思い込んでいるのかもしれない。
そして翻訳をした中川五郎氏もあとがきで「詩人としては日本ではあまり知られていない」であるという意味のことを書いておられる。中川五郎氏としてはブコウスキーの詩人としての評価を高めたかったり、もっと日本語訳の詩集を出版して欲しいという気持ちから『詩人と女たち』というタイトルにしたのでは無いのだろうか?と勝手に想像してしまう。
個人的にはブコウスキーの詩集の再発を願いたいが、現在の日本において『詩』は短歌や川柳などと比べると少しマイナーな感じがする。詩の朗読会とか詩の朗読のアルバムなんでアメリカなら相当存在するが日本ではかなり少ないのが事実である。出版社も乗り気ではないと考える。
(リディア・ランチの楽器の演奏がない詩の朗読アルバムなんてのもあるし、ヘンリー・ロリンズなんて大量に発売している)


長編でありながら、短編小説を集めたかの女性遍歴と女性とのトラブルを纏めたこの小説は、現在の自分tとほぼ同じ歳の50歳で、大雑把で酔っぱらいでいい加減なブコウスキーがどうしてこんなに女性にモテるのかと考えながら、どこか優しいブコウスキーの性格がちらちらと見えてくる短編集のような長編の一冊である。これはいつでも読めるように愛読書として手の届くところに置いておきたい一冊である。が。これが愛読書となるとちょっと廻りから変な目で見られてしまうのだろうか?
いや、ここには何だか憧れるブコウスキー本にが宿っている感じがするのだ。
 
 
追伸
 ブコウスキーの詩集が殆ど手に入らいないので、自分で買ってに翻訳(「糞訳」と称する)してNOTEにアップしています。よかったらこちらも。