2019年4月30日火曜日

悪の読書日記 我かく戦えり 近藤等則(著)

2019年 4月 30日

巷では本日『平成最後の日』だと言っては何かにつけて平成最後!、平成最後!と平成最後の大安売りである。イオンにいたっては、平成最後の5%OFFときた、イオンカードでさらに5%OFFなのである。なんでも来いなのだ・・・。
昔々、音楽を始めたきっかけは、日本のパンクバンドリザートとオートモッドという日本のパンクバンドの影響だが、実際に楽器を奏でてギグをするように至るきっかけというか、フリーインプロヴィゼションをやり始めたのは電気トランペッターの近藤等則氏の影響そのものである。当時というか20年位前にやってた音楽はフリーインプロヴィゼイションいわゆる即興演奏であった。元々パンク⇒ノイズ⇒轟音ギター⇒即興・・・というルートにするのが一番説明が簡単であると思う、というかこの詳細は個人的過ぎる内容なのでどうでもいいことであろう。



ふとしたことで、十数年ぶりに近藤の『我かく戦えり〜近藤等則の即興的人生論』を再読してみた(多分これまで3回目以上少なくとも読んでると思う)、まだまだ中国が今の経済力を得るはるか前、ロシアが崩壊する少し前に書かれた本であり、当時80年代〜90年代に日本のグループで日本以外の海外諸国で演奏活動をしていたバンドで、ライブ数は断トツだったIMAバンドだった。そのIMAバンドを率いていた近藤のコトバは非常に重要で、今読んでもかなり心に響いいてくる。決してタレント本なんかでは無く、ミュージシャンが適当に出版する音楽のおまけみたいな本では全くない。確かに雑誌等のコラムに掲載された文筆も含まれているのだが、それですら実に興味深い内容が多い。
本書が発売されたのは1992年、時代はバブル崩壊直後だったが、日本でサラリーマンが家をまだまだ買うことが出来なかったりした、銀行ローンの金利が高かった時代でそれに関係するする話などが少々懐かしい。
どういう訳か俺は、ある日会社帰りにあべの橋のユーゴー書店の地下一階でこの本を手に取り取り買って、近鉄電車に乗り込んで電車の中でこの本を読み始めた記憶がある。そして結果的にそのあと人生が狂ったように即興演奏にのめり込んで行くのである・・・が、当時聴きこんでいたNYのバンド「NAKED  CITY」のサックス奏者であるジョン・ゾーンが実は近藤のニューヨーク時代の親友だったという話も大きく影響しているのだと今になって分析できる。ぶっ飛んだ奴らはどこかで繋がっているのかと、これに感動した覚えがある。ジョン・ソーンは同時期に元ナパーム・デスのBPM計測不可能超高速ドラマー「ミック・ハリス」と「PAINKILLER」というグラインドコアみたいなジャズバンドを演っていた、じつはコレもお気に入りだったのは彼らが即興演奏だったというのも前述の俺自身がパンク⇒ノイズ・・・というところであるからだと思う。
この本を読んで直ぐに、俺はCD屋や中古レコード店で「近藤等則IMAバンド」のCDやレコードを買い漁り始めた。そしてIMAバンドを聴きまくった俺は思った・・・

これだ!、と。

そして翌月、俺は渋谷のクラブクアトロで電気ラッパの爆音に旧友達と酔いしれていた。
ラッパって、逆さまに吹けるのか?

IMAバンドはインプロビゼーションでは無いが、これは絶対に演ってみる価値があると確信した。


結局、今現在、音楽の活動はしていなのであるが、記憶を戻せば当時社会人になって一年目か二年目だった。なんでか当時も今の様に日々なんでか悩んでいた。仕事の面でうまく行かなかった事もあったと思う。そんな時に出くわしたのがこの本だった・・・これで俺の人生は大きく変わっていった。変わっていったといよりも価値観が変わっていったのだと思う。それまで、一年か、二年やっていたサラリーマンの生活に疑問やなんか違和感なんかもあった。しかし、現在もサラリーマンであるのだが、現在は周りの人からは大分変わった奴と思われているのは事実である。その理由はこの通りなのだ・・・

今でこそ、マクロビだ、血液は腸で作るとか、玄米だ・・・と言われているのだが。殆どの内容は既に近藤が20代の頃にやっていたらしく、自分を強くするために色々と試したそうである。ミュージシャンとして世界で闘うのなら、既に体力ではアメリカの黒人に負けている。そんな状況で世界で勝負出来る訳がないと考えた結果のことらしが、現在でも状況は変わらないが、体力どころかいまだに文化力ですら負けている。そんな考え方も、この本を読むまで解らなかった・・・


「本」は何気なくいや突然、偶然にみえて必然的にやってくる。一冊の本の出会いが人生を変える事があるのかといえば、あるのである。本を読まない人はどういったところで人生が変わるポイントに出くわすのだろう・・・?。そんな他人の事は忘れ・・・常に本を読む人間であっても、その本が本当に必要なのかどうか、読んで理解できる人間でその時にそんな人間であるのかどうかで偶然なのか、必然なのかが大きく変わってくる。
そして書いた著者もおそらく、他人の人生がこれで変わると思って執筆していないだろう。しかし、現実に一冊の本で人の人生が変わることもあるのである。


そして俺はもうひとつ解った、面白くない文章を書く人間の奏でる音は、全く面白くないと。

悪の読書日記 命売ります 三島由紀夫(著)

2019年 4月 29日

テレビを付けると、何かと「平成最後」と煩いものである。俺は今を生きているのである。元号が変わろうが俺の人生にはそれほど変化はないのである。平成最後などのぬかす前に、平成という時代に中途半端になっている事を綺麗に対応したらどうなのだ!!と怒りしか感じない2019年のゴールデンなんちゃらである。



1970年にこの世を去った三島由紀夫が1968年に週刊プレイボーイ誌に連載していた『命売ります』である。ここ数カ月三島のこれまで読んでいなかった小説を読むようにしているが、新聞(しかも朝日新聞)や雑誌に掲載されていた小説がけっこうあるのだが、週刊プレイボーイに掲載していたとは驚きである。ノーベル賞候補になるようなレベルの小説家が、週刊プレイボーイにである。今で言えば村上春樹がSPAやサイゾーに小説を連載しているのと同じくらいの話と思うのだが・・・。

しかし、流石の三島である、内容も文章も週刊プレイボーイの読者層にレベルを合わせているという感じなのである。内容も三島テイストながら、非常に読みやすくスイスイと読んでいきしかも三島ワールドに気持ち良く引き込まれるのである。これぞ、天才の技なのか・・・と思わせざるを得ない。



実は昨夜久しぶりに先日お亡くなりになられたモンキー・パンチ氏の「ルパン三世」(漫画)を読んでいたためか、三島のこの小説を読んでいくと頭のなかでモンキー・パンチ氏の絵(キャラ)が動くのである。しかも内容が内容だけにである・・・タイトルは『命売ります』、そのまま命を売りますという商売を始めた主人公、やってきた仕事はモンキー・パンチが描くルパン三世の漫画そのもので、話の内容も同じようなお色気ありのハードボイルド的な内容なのである。登場してくる悪役もピストルとか持って出てくるという三島にしては軽すぎるストーリーであるのは前述の通り、週刊プレイボーイに掲載されていたからであるのだが、もし昨夜「ゴルゴ13」を読んでいたら少しは感じ方が変わったはず。いや、少しでなく相当イメージが変わったのだろうと思う。そう考えると、読書というのは本を読む順番も注意しなければいけないのである。特に小説などは・・・。

話は、自殺を決意した男、主人公が自殺に失敗して、命を売ることを決意し新聞広告へ「命売ります」と掲載するのだが、やってきた依頼で命を売るつもりが前述のようにハードボイルド的スパイ小説に出てくるような謎の仕事が舞い込んできて結局命は売れず、金(財産)だけが増えていく・・・そしていつしか主人公は、自分の命を守ろうとするのだが。それぞれのエピソードが実は・・・という展開は、ここ数年熱狂的に観る唯一のテレビドラマ(海外ドラマ)「ブラックリスト」のシーズン1そのものなのである。FBI捜査官が犯罪コンサルタントの男通称レッドに指示されて悪人共を逮捕していくのだが、実はレッドに適当に指示されていたのでなく、レッドの目的の為に順番通りに指示されて逮捕していた事だったとシーズン終了間際にFBI捜査官は気がつくのである。この『命売ります』は読みながら、そんな話しじゃないのか?と思っていたら・・・である。この『命売ります』は三島にしてはあまり有名な小説ではなく1998年にやっと文庫化(しかも筑摩文庫)された作品で、海外で英語に訳されて販売されている事はないと思う。アメリカ人のテレビ番組スタッフがこれを読んで参考にした事はおそらく無いだろう。
しかし、面白いのは主人公が話後半以降は命を守ろうとする態度に一転するところである・・・そしてそれを利用して窮地を脱するのだが、最後は三島の特徴である、読み手を裏切ってプッツリと切れて終わるのである。これが三島の作品の面白いところであると思っている。
また、新潮社が全集には入れたが、文庫化にしなかった理由も読んでいてなんとなく解るような気がする・・・いやはや、これを書いた三島も凄いが、当時三島にこれを書かせた編集も凄い。









2019年4月29日月曜日

悪の読書日記 実践!マインドフルネス 熊野宏昭(著)

2019年 4月 28日

今朝は日曜日、起きたのはいつもより二時間程度遅い。しかし、習慣とは怖ろしいもので朝起きると瞑想をしなければ・・・というか、さあ瞑想しようという行動にでてしまう。先日は瞑想の師に、ストイックですね、たまには自分に甘やかしてあげてください・・・と言われたのであるが、いまだにストイックという意味が解らず・・・実はよく以前から「ストイックだね〜」なんて言われるんだが、本人は全く意味も解らず気にせず日々惰性で生きているのである。



「実践!マインドフルネス 今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン」を読むに至ったのは、以前このブログで紹介したドイツ人僧侶、安楽寺のネルケ無方氏がYoutubeで取り上げて解説しているのを観たからであるが、観ただけでその解説はあまり真面目に聴いていないく、とりあえず購入して読んでみた。先日読んだ小児科医師であり僧侶の修行を日本でやられたジャン・チョーズン・ベイズ が書かれた 「今、ここ」に意識を集中する練習 というマインドフルネスの本とは異なり、殆ど仏教の話は出てこず、後半少し仏教の話がでてくるが瞑想の話の延長的な余談である。
著者の熊野宏昭氏はは精神科医で大学教授をされているかたである。著者いわくマインドフルネスとは「心ここにあらずの状態」から戻る「ハッと我に返る瞬間」、この心の働きをマインドフルネスであると言われています。この我に返る行為を簡単に出来るようになるたに瞑想をする。マインドフルネスはストレスが無い状態、ストレスを減らす方法のことでなく、また不安などが無い状態のことでもない。どんな状態であっても「ハッと我に返る」ということであると。

この本は主に瞑想とATC(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)について書かれていて、サマタ瞑想、そしてヴィパッサーナー瞑想。前述のサマタ瞑想は一点集中型、後述のヴィパッサーナー瞑想は広く遠くから自分を見つめるイメージの様でやり方が異なるので、その詳細な手順から、瞑想する流れを紹介されています。

そんな瞑想の方法よりも小生が一番大事であると感じたのは・・・
ATCの脱フュージョン、自分自身と距離をおいて考える。上から(天井)から自分を見て、さらに上から、さらに上から・・・・そして青空から自分を見る。ここまでくると自分が見えるか否、ちっぽけに生きている事が見えてくる。なんか悩んでいる自分を自分自身として事項の外側から考えてみる、自分を他人のように考える、すなわち自分はこう考えはったらしい・・と距離をおいて区別する。これまでは悩みに飲み込まれていたが自分を自身を他人からみて考えることで悩みに飲み込まれないようにするということ。心ここにあらず・・・この切り替えのテクニック「我に返る」事を瞑想でマスターする事が重要であると。これまでは自分だけで考えて考えて考えこんでいたのを止めて、距離をおいて考える。距離をおいて自分自身と周りとの繋がりを考えて生きていけばいいのであると。

前回読んだ(前述の)マインドフルネスとは異なるのであるが、これぞ何が正しくて何が間違いで、何が本家本元なのかということなく受け入れて読んで自分で実践して悩みやストレスから開放されればいいのである。それがマインドフルネスであろう、釈迦が「私の教えを学んだ者が説く教えは、私の教えと同じ意味である」というような事を唱えたのとそこは同じ考えでいかなければ、末は宗教戦争しかない、結局無駄な悩みをしてしまうのである。

2019年4月28日日曜日

悪の読書日記  旅のモザイク 澁澤龍彦(著)

2019年 4月 27日

この本を知ったのは、偶然見つけた東京の古本屋ノストッブックスのサイトに紹介されていたからである。『そうだ、旅に出よう。音楽家・芸術家・小説家たちが綴った旅行エッセイをあつめました』とい記事である。色々な旅行記を紹介しているのだが、その一冊に澁澤の「旅のモザイク」を見つけた、澁澤龍彦といえば、ヨーロッパというイメージがあり、既に『ヨーロッパの乳房』というヨーロッパ旅行記なども出版しており、小生に至っては『澁澤龍彦のイタリア紀行』という澁澤夫妻、そして「旅のモザイク」にも登場する小川氏の共著が愛読書になっている、このイタリア旅行記のベースが「旅のモザイク」「ヨーロッパの乳房」なのでかなり引用されている。






「旅のモザイク」は1976年に出版された書籍である、イタリア、中東、沖縄、阿蘇、青森、北海道を周った旅行記である。その頃とは社会情勢も遥かに変化しているので、書かれている海外の中東諸国の様子は全く現在とは異なるのだろうと思うが、澁澤が回った場所がどんな場所だったのかは、イタリアについては「澁澤龍彦のイタリア紀行」をパラパラ見ながら想像すればいいのだが、中東の遺跡などは想像が困難な為、GOOGLEで画像を検索すると、殆ど検索結果でヒットするのでどういった景色なのかが解り非常に効果的で有効的なツールである。1976年には無かった文明の力で、澁澤はインターネットが庶民の手元に来る前にこの世を去ってしまったのは実に残念である。


実はこの本を買うまで、ヨーロッパの旅行記かと思っていたが、実は半分が日本国内の旅行記である。澁澤の国内の旅行記には『古都巡礼』(小生は未読)という本もあるのであるが、まさかこの1976年に発売された本書の半分が国内旅行の旅行記だとは思わなかった。前述の古本屋のサイトには説明されているのだが、殆ど適当にしか読んでいなかったようである。
しかし、巡っているところが実に興味深い。行き先は沖縄、阿蘇、青森、北海道・・・この理由はここでは書かず本書を読んで頂ければ納得できるのであるが、行き先は自然なのである、以外だ。サンゴ礁、火山、風、流氷なのである、寺院や文化建造物でないという。澁澤らしくないと思ってしまう。
但し、澁澤龍彦の旅行記である・・・行く先々での話が実に面白い、阿蘇の噴火口でサドの小説を思い出しては、博多に戻りレズのストリップ。北海道ではちらし鮨などとあまり有名な澁澤の本ではないかもしれないが、裏・澁澤っていう感じが実に良く海外国内のバランスがちょうどいいのかもしれない。(2002年にやっと文庫化されたようである)

悲しい事に、沖縄の石垣島では、激しい観光化(自然破壊)に嘆き、阿蘇山では日本はもっと地震に注意すべきだると書き、北海道では網走駅は風情があると感心された1970年代・・・現在の2019年の日本を考えれば、沖縄の海は政府の道具にされ、既に日本は幾度の地震の経験を経て、やれオリンピックだと言っては土建屋の為に歴史のある建造物が破壊されている。
今考えれば、警告みたいな感じもするが、古き良き日本がほんの少し感じられたりする。
やはりこの日本には文化というものが育つことはないのだろうと理解するしかできず、クールジャパンなどという馬鹿げたことを真面目に考えるなら、本当にクールジャパンに貢献している電気グルーブに文化勲章である事に気づかれず。
現在の日本文化、例えばお家芸のゲームソフト関係などは少なからず澁澤龍彦の影響下にあると思うのだが、澁澤の評価はかなり過小評価と言えるだろう。本当に本が好きな人々の間でしか好評化されていない気がする。
もし、澁澤の本を読んだことがあるのであれば、この裏・澁澤といえる「旅のモザイク」は興味深く読めるのでは無いだろうか。この本が発売された時代から前述の通り世界も日本も大きく変化している、既に過去の旅行記に過ぎないといえばそうなのであるが、その向こうにある世界や価値観、澁澤龍彦というフィルターを通して見える世界は不思議な世界である。

この「旅のモザイク」というタイトルは澁澤夫人が付けたそうである。


2019年4月22日月曜日

悪の読書日記  「今、ここ」に意識を集中する練習 ジャン・チョーズン・ベイズ (著)

2019年 4月 21日

最近、こだわっている瞑想…
色々読んだりしていると、瞑想とはマインドフルネスの事ではない。遥か昔々のお釈迦様が説いた『八正道』のうちの一つ『正念』(マインドフルネス)から、仏教的な宗教の考えを差し引き(薄めて)したものが最近になって欧米からやってきたのがいま流行りのマインドフルネスらしい。
実は日本には昔々から日常この思想は存在していたのであるか、やれGoogleで瞑想をやってるとかいう話が先行してしまい世の中の人は瞑想がマインドフルネスと思っているようであるが、瞑想はマインドフルネスのツールの一つに過ぎずなのである。つまり正しくはマインドフルネスとは『正念:自分の内外に気づく事』である。




昨日読み終えた『「今、ここ」に意識を集中する練習』ジャン・チョーズン・ベイズ(著)を読んで目からウロコのマインドフルネスである。サブタイトルは『こころをやわらかくする「マインドフルネス」入門』と題されたこの本に53種類のマインドフルネスに関する練習方法が紹介されている。その中に瞑想は含まれておらず・・・である。
また、マインドフルネスとは何か?については、この本20数ページの第一章だけを読めば十分な感じがします。

著者は小児科医で瞑想講師で、日本で僧侶の修行を実際にされた方で、この本の正式なタイトルは「HOW TO TRAIN A WILD ELEPHANT : and Other Advenchers」(野生の象を手なずける方法)であるが、この野生の象についてのエピソードは本書の第一章に書かれている、釈迦が『心を育てるのは野生の象を育てるのと同じである』と説いたコトバから引用されている。著者が日本のお寺で修行をされていた事から、この本の解くマインドフルネスは近年欧米から入ってきたマインドフルネスとは若干異なり、仏教の話もエピソードとしてでてくるわ、著者の本業は医師のため、医師の視点からみた考え方やエピソードなどが満載なのである。そのバランスがすごくいい感じなのである。
本書はマインドフルネスがテーマであり日本語版のタイトルである「今ここに意識を集中すること」の53種類のマインドフルネスの練習は一年間、一週毎に試す事が出来るように53種類書かれている。主に練習は『手』、『食』、『時』、『不安』についての色々な方法が書かれています(細かい内容は書きません)。

53種類の殆どが、今ここを気づく為の練習であると断言でき。中ではどこかの本で読んだような?ひょっとしてこの本のパクりか?とも思ったりも、しかし世の中にオリジナルは既に存在しないことが実は普通ではないかと思います。

そして最後に53種類の練習のあとにやっと『座る瞑想』のやり方が説明されていますが、ここにはマントラを唱える事は書かれていません。呼吸に集中することは書かれています。前回のブログにも書きましたが、瞑想に決まったルールややり方は存在しないのだとやっぱり思います。
瞑想を実践する事を強く推奨する高城剛氏やメンタリストDAIGO氏の瞑想のやり方にはマントラを唱えることは出てきません。

マインドフルネスにまず触れるなら、この本でしょう。仏教の話なしにマインドフルネスはありえないかと。

小生のマインドフルネス、そして瞑想の目的は…過去のつまらない記憶からくる不安を消して、未来に予想される不安を消して、今を受け入れて今現在をフルスロットルで生きたいだけなのである。

2019年4月21日日曜日

悪の読書日記 一瞬で自己肯定を上げる「瞑想法」 綿本彰(著)

2019年 4月 20日

実は4月1日から毎朝瞑想をはじめました(朝にやらないない時もありますが)。ほぼ平日は毎朝5時半頃から瞑想を20分〜30分程度やっています。
これまで何冊か瞑想に関する本を読んできて、過去に何度か日々瞑想をやってきましたが長続きしませんでしたが今回は既に3週間経ちました。過去最長です!
これからも問題なく継続できそうな気がします・・・あと三ヶ月は多分。



今回読んだ『一瞬で自己肯定を上げる「瞑想法」 綿本彰(著)』・・・瞑想の方法などは全体の1/4〜1/3程度、あとは自己肯定について書かれています。

瞑想についてはページ数が少ないながらも、内容は濃く。これまでの読んだ本では書かれていなかった「瞑想に失敗はなし」と。殆どの書籍とは異なり、ハードルが低く優しい内容です。
しかし、そもそも瞑想に成功、失敗などという事はなく、さらに言えばマントラを唱える事すらルールや方法の手順としてはどうでもいい感じがします・・・。

瞑想の目的や、日々続けることを考えても、マントラを心で唱える事は、マントラを唱える事で雑念を退けて集中するということ考えれば、マントラを心で唱えず、他に雑念を退ける方法があればそれを使えばいいわけです。
そもそも正しい、手順やルールなどは瞑想に存在しないと断言したい。そして瞑想しても「引き寄せる」ものは何も生まれないと。


本書の本題であります『自己肯定』。私自身、自分自身を肯定する。
正直、小生は自己肯定が低いです。自分が好きではありません。後悔、後悔、後悔、後悔、断罪、斬罪、断罪・・・というのは小生がよくfacebookのタイムラインで使うコトバですが、正直この通りなのです。あの時のあれが、あの時のあの行動が、もう少しこうやってあの人に接していればと。自分が好きでない理由です。
過去に 縛られすぎです。縛られすぎなのかどうかは別として、自分の記憶から悲しい記憶や失敗した時の嫌な行動の記憶、どうでもいい記憶が消えません。どうして子供の頃に日曜日に朝から観ていたテレビアニメの提供スポンサーを覚えているのか?など、頭の中からこういったどうでもいい消去して最適化してフォーマットしてしまいたい断片が大量に残っています。50歳にもなって残っている記憶は、死ぬまで残っているはずです。

しかし、どうしようもない・・・P.K.ディックの短篇小説では無いのだ、記憶を簡単に消したり購入したりは出来ないのだ。

この本には自分を肯定する為のポイントが書かれていました
1.死ぬまで自分自身とつきあっていくしかない。
2.肯定出来る容量(キャパシティ)には限界がある。
3.無理に気持ちを切り替えない、自分自身を認める

つまり、どうしようも無いから、今を真摯に生きるしかない。

そして、自分だけでなく他人を肯定するべきであると。

話は元に戻りますが、瞑想する目的はここにあると
『気づく』こと、これまで気が付かなかった自分に気づくこと、周りに気づくことで全力に今を生きる事ができるのだと。残念ながら一瞬で自己肯定はあがりません。一瞬で上がるなら苦労はしません。

引き寄せるのでなく、今までそこにあった事、それに気がつくのだと。

瞑想と迷走の生活はまだまだ続くのですよ。



2019年4月14日日曜日

悪の読書日記 絶筆 野坂昭如(著)

2019年 4月 14日

野坂昭如が亡くなって何年が経つのか忘れてしまった。が、2015年の12月にこの世を去ったそうである・・・



昨年下旬に本屋で見かけた文庫本「絶筆」野坂昭如(著)である。カバー(表紙)が渋い!調べてみたが単行本のカバーはダサダサである。野坂氏が生きていたら絶対怒るだろう。と、見かけて買うか買わまいか悩んだが末、結局買っていた。
本書は約10年に渡る口上筆記による爆裂日記である、正確には野坂氏本人と奥さん陽子夫人の共同作品といえる。野坂氏は脳梗塞で倒れて、自ら筆を握ることが出来なくなり、陽子夫人が代わりに野坂氏のコトバを代筆したのである。

内容はなんと!
1.軍事拡大の安倍政権へのコトバによる攻撃
2.農業問題:食料自給率向上など
3.リハビリ日記
4.震災以降の環境問題:原子力発電所の問題など
5.飼い猫の話
6.孫がやってきた
7.毎年誕生日には大量の花束が届く
8.野坂さんの体験
の毎年繰り返しが主な内容である。

読みながら既に忘れてしまった出来事、実は忘れてはいけなかった事を読みながら思い出す。そして日本の将来に不安を感じる。先の戦争で家族を亡くした野坂氏のコトバであるから、安倍政権への攻撃、農業問題などは非常に重い。果たして日本はどこへ行くのか不安になってくる、しかもこの本は2015年までに書かれた本である。あれから5年弱、日本は野坂氏の忠告を無視した方向へ日々進んでいる。

特に農業問題は最悪である。
現時点で食料自給率という問題どころか、農家に『死ね』と言ってるのと同じである。
つまりそれは日本列島で食文化にピリオドを撃ち、日本列島で暮らす人に餓死して死ねと言ってるのと変わらない・・・
ニール・ヤングがモンサルトを支持するスターバックコーヒーに対して怒りをぶつけた理由がこれである。

90年代ブラウン管の向こうではいつも酔っていた野坂氏であったが、実は『火垂るの墓』の原作者でありかつ実体験をベースにした話であり、『おもちゃのチャチャチャ』の作詞を手がけ、『エロ事師たち』というとんでもない小説を書いていたという、なんでもこいみたいな人物であった。

そして晩年は世間に対してコトバという武器でゲロを吐いていた。この「絶筆」が名作「火垂るの墓」の続編に位置すると考えるのは容易だろうか否。