2019年1月31日木曜日

悪の毒書日記 コンビニ人間 村田 沙耶香(著)

2019年  1月 31日

日常のコンビニ
  バイトの人が実は気になる。どうしてこのバイトをしているのか?実はいつも気になっている。

 ・バイト研修中人、初心者マークの店員
 ・美しい人妻のコンビニ店員
 ・ほぼ毎日来ているのに、同じ事を毎回たずねる店員
 ・明らかに接客に手を抜いている二十歳そこそこの店員
 ・都心に行けば行くほど店員はアジア人のバイトへになり
 ・店員に訳の解らん事を話しかける同僚、真面目に笑顔で接客にする店員

店員に話をこちらからしたことは無いが、人それぞれ理由があるハズである。
だからどう?なのであるが、つまらない事を何故か気にしてしまう…そんな自分が嫌になったりする。


 コンビニ店員の 朝、昼、夜のメンバーが変われば、店の空気も変わる。毎朝通うコンビニに夕方行くと雰囲気が違った、店員が違うだけで売ってるモノは殆ど変わらない。

  昔々、桜ノ宮駅前にあったコンビニで、モヒカンの店員が居たが、明らかにNGである。雰囲気は最悪である。バイトだから気楽でいい?そんなハズはない。お金をもらって仕事をしたら、それはプロであり責任というものが付いてくるという考えは日本企業的なのか?

既にコンビニは日本の日常世界に、何の違和感もなく入り込んでいる。

スペインとかイタリアにはコンビニはない。
個人商店を守るという意味もあり。こんなにコンビニがありあらゆるところにあるには日本くらいらしい。
海外ではあくまで誰が作っているか解らない食品は買わないとか(高城剛の書籍より)。
イタリアでコンビニ(二十四時間営業の店)は無いかときくと、誰が夜中に買い物に行くのか?と言われるらしい。




本題の『コンビニ人間』、実はわけあって恐る恐る購入した一冊、自分から選んで買った本でなく。芥川賞を取った作品だとも知らなかった。あの有名なお間抜け映画の『武器人間』よりは遥かにまともだろう思ったが、雲泥の差であった。読みはじめて一気に引き込まれて一時間程度一気読んでしまった、読み終わり『お見事!』と言ってしまった一冊。

音の描写で始まるこの小説は最後に音で攻めてくる。これが唸らせる。
主人公はどこまでもコンビニ店員のプロフェッショナルなのであろうか?
バイトとか社員とか店長とか関係なく。主人公はコンビニと共にこれからも生きていくんであろう。

しかし、我々も客として消費者として、コンビニと共に生きていくのだ。




悪の毒書日記 スケルトン・キー グレイトフルデッド大辞典

2019年 1月 30日

20年インターネットとYoutubeの出現が早かったら、グレートフルデッドのファンやメンバーは相当インターネットを利用したに違いない。
今は亡き、あのプリンスがインターネットのおけげで儲からないと言っていたが、グレートフルデッドは間違いなく儲けるつもりはかっても、インターネットで儲けていた・・・儲かってしまっただろうと思う。もし今、グレートフルデッドがまだ健在であれば、また違ったインターネットの世界が出現していたかもしれず、・・・しかし「たら・れば」なんてのは妄想であると思う、いや個人的にそう思いたいのかも知れない。

インターネットの動画サイトYoutube にグレートフルデッドのジャムセッションを編集して二時間とか、五時間にした音源をアップしている人がいる。
誰か知らない人が個人テープや色々な音源を勝手に混ぜ合わせて編集して自分の好きな絵や写真を張り合わせたりしてデータ化してアップロードしているのである。彼らに悪意はなく、むしろグレートフルデッドの魅力を今も伝えようとしているだけなのである。

グレートフルデッドは基本的におコンサート会場でファンが個人的に録音した音源はトレードや共有はして良いが、海賊盤業者に営利目的に渡してはならない。海賊盤業者に限らず、営利目的に使用するのは禁止である。もしコンサートの帰りに警察官にスピード違反で車を停められた場合は録音したテープは警察に押収されて海賊盤の業者に渡されないように直ちに車を停められた時点で真っ先にカセットテープを破壊して処分しろという掟があるくらいである。


ここ暫く個人的に色々あって、コトバを主とする日本語の歌詞のある音楽を聴きたくないので、最近はずっとグレートフルデッドのジャム音源をYoutubeから聴いている。聴いている音源のトータル時間は合計十時間。殆ど人間の発する歌詞はなく、ギター二本とキーボードがーフロントのセッションで気持ちがよすぎる。

参考までに




もしも、仕事なのでアイデアに困ったら手元にある辞書をパラパラと引けばアイデアが出てくると教えてくれた師の事務所の本棚には、色々な辞書や辞典が置いてある。だが、そんな師の事務所の本棚にでさえこのグレートフルデッド辞典『スケルトン・キー』は置いていない。
この辞典には、前述のコンサート帰りの警察に停められたときの対処方法など、ありとあらゆる話や人物、専門用語などがAからzZへと順に並んで掲載されている。
仕事でグループ討議のある研修会には必ず持っていくのはこの本である。顧客第一主義、顧客満足度ナンバーワンを目指すにはグレートフルデッドの視点に立って考えてみるのも一つの手段である。
真面目にこんな事を会社の上司や役員に言ってもなかなか理解されないのが普通なのであろう。それは教養を付けるには、タイトルに「教養」という文字が入った本を読むことが教養に繋がると思われているからではないだろうか。なぜか『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』という本が売れる時代なのであるから、このようなグレートフルデッドの辞典なんどは売れるはずがないと思う。

しかし、50年後も正当な評価されるのは間違いなくグレートフルデッドであると言える。読むだけで身につく教養なんてのは存在しないし、グレイトフルデッドの影響は滅びる事がないくらい浸透している、それはまさに文化の域まで達しているからである。

2019年1月27日日曜日

悪の毒書日記 黒魔術の手帖 澁澤龍彦(著) 桃源社選書版

2019年 1月 27日

昨年下旬より読み始めて、色々あって進まなかった『黒魔術の手帖   澁澤龍彦』 の桃源社選書版をやっと読み終えた。



やっと読み終えたと書いたが、実は20数年前、多分30年位前に『河出文庫版』を一度読んでいるのであるのだが。

読み始めて、過去に読んだ記憶は全く無かったが後半に行く都度、色々断片的に思い出してきた…
タイトルは『黒魔術の手帖』なのだが、内容は後半へ行くと幼児大量虐殺のジル・ド・レイに纏わる話とエピソードが断片的に散りばめられている。
このジル・ド・レイという人間は人間と思えない程の人間、貴族なのだが、その特権を利用して黒魔術師を集めて試してみたりと、やりたいことやり過ぎ、まさに理性のまま生きているという奴なのである。

なんとこの人、悪魔と複数回契約したが悪魔は現れなかったとか?意味不明な点も多いのだが、今となっては数百年前の人間であり、いま我々が生きている世界とは情報量も社会的インフラもテクノロジーも全く次元が違うのである。まったく別世界の価値観なのかもしれない。
そういった時代に生きた人と現在を比べるのはおかしいかも知れないが、しかしやった事は今現在と遥か数百年前ということに関係なく人間のやることでは無かったが、数百年前の人は今では考えられない以上に現在人より何かに怯えて生きていたのだと思う。
また、キリスト教の世界を確立して行くには『悪魔』という敵がいてこそ確立出来るキリスト教という世界だったのでなかったのか?
こんな本を昭和30年代に書いて発売していた著者も桃源社のセンスは最高である。

最後に、この黒魔術が1900年代前半にナチスの片棒を担いでしまう結果となったのは、皮肉なのか、必然だったのか、何なのか…少々後味が悪い。



日本語は凶器だ

2019年 1月 26日

ふと、想う。だからFBでなくこうしてみた。

個人的なことで二週間生きている気がしない、これからも続きそうだ。

悩みと不安が雪だるま式に心の中で増幅していく。
老後は不安、自分自身そしてこの日本。

毎日生きづらい。

ちょっと、いや少しだけ、もう少し‥‥‥

よくわからない。
なんか、なんとも言えない時間だけが過ぎていく…

二週間、仕事関係以外は何を読んでも、書いても、いやそこまで至らない。
歌詞のある音楽は最低だ聴けない。

完全に
いまは言葉は暴力、日本語は凶器だ!
今も日本語の音楽は聞かない、聴けない、心が受け付けない。

でもしかし、
何とか、もう少し前に進みたい。
そう思いたい。

さあ、何か読もう、読みたい。

そして、いま。
スリッツを聴きたくなった。