2020年3月20日金曜日

悪の読書日記  いのちは即興だ 近藤等則(著)

2020年 3月 19日

先週末に近藤等則の新作二枚が一般販売を前に届いた。今回は六枚同時発売という素晴らしき非常識というファン泣かせである。流石に一気に六枚は買えないので、今回のメインであるIMAバンドのライブアルバムと近藤さんのソロアルバム『Born To The Blue Planet〜toshinori kondo plays Melodies』を購入するに至った。

二枚の内の一枚『Born To The Blue Planet〜toshinori kondo plays Melodies』はジャケットから素晴らしく、ジャケットの素晴らしさと音の内容の素晴らしさは比例するという、EBTGのトレーシー・ゾーンのソロアルバムに匹敵する内容だった。
そのソロアルバム『Born To The Blue Planet』のサブタイトル『 toshinori kondo plays Melodies』にある「melodies」というコトバがふと気になった。普段ならこんなことはない。いまから10年くらい前に発表したアルバムに『Silent  Melodies』というアルバムがあった。これは小生には珍しく近藤さんのアルバムで数少ない愛聴盤である(IMAバンドが素晴らし過ぎて、ソロアルバムでは『Silent Melodies』と『Touchstone』しかスマホに入れてなかったが、昨年『ラッパ富士』を購入してスマホに追加した)。
『Born To The Blue Planets』はIMAバンドの音とは真逆の、いわゆる静かな曲が収められたアルバムだ。



そして、なぜか急に近藤等則の著書『いのちは即興だ』(2008年に出版された本)を読みたくなった。この本は表紙以外、内容は殆ど記憶に無いのだが、何だか急に読みたくなった。ただそれだけで早々自宅の天井裏から苦労して本の山から探してきた。
この本には『Silent Melodies』について書かれていた。
 沈黙と音を分けることはできない
 それは生と死を分けるよう
 沈黙から生まれるメロディーがあり
 そのメロディーかが鳴ることで沈黙が姿をあらわす
 沈黙から命が生まれるとしたら
 沈黙はいつもいのちと共にある
 沈黙の響き
(「いのちは即興だ」:第7章ー音の可能性『サイレント・メロディーズ』より抜粋)



このアルバム『Silent Melodies』をかけたら、部屋に居る人に「静寂」があって欲しいと考えて製作したアルバムらしい。その「気持ち」もアルバムには入っている・・・。偶然か必然なのか、読書は読む前から始まっているという某有名クリエイターのコトバを思い出した。

久しぶりに『いのちは即興だ』読んでみると、古ぼけていないというか時代を感じさせる事が全く無い内容である。今日発売でもいい内容なのである、発売は前述の通り2008年、ちょうど12年前であるが、つまり一昔前から近藤等則というミューシャンの言ってる事、訴えていること、メッセージにはブレが無いなであり、世間は進化していないのである。近藤等則は一貫して同じ事をいい続けているのだ。俺の人生を狂わせた一冊『我がく闘かえり』とコトバや表現は異なるが、内容の根底にあるものは全く同じだ…つまり何十年も一貫して同じメッセージを放出しているのだ。
日本にそんなブレない政治家いるか?


多分、いや絶対・・・
近藤等則は音楽家、ミュージシャンでありながら実は『革命家』なのだと思う。

IMAバンドの頃は歌を唄いメッセージをコトバで伝えていた。25年ぶりに復活したIMAバンドでもコトバのメッセージを発信している。そしてこのように書籍を介してコトバでメッセージを伝えているが、本来はトランペッターである。音だけでココロを伝えるのが本職だ!
そして、革命家の一貫したメッセージは、僕にはこう聞こえるのだ‥‥

まず、『自由になれ』と。
それはアナーキズムで世界秩序を一旦破壊してしまえみたいなレベルの話ではなく。誰が決めたか解らないルールに縛られて楽な生き方をするのでなく、自分で考えて型に嵌まった世界から抜け出せ!。
近藤等則の奏でる音は常に変則のフリーフォームが殆どだ。IMAバンドはギター、ベース、ドラムという構成であっても、完全機械のシーケンサーが入ったり、DJがターンテーブルで決めたりと組み合わせが無限であるということを証明している、IMAバンド以外では電気トランペットと何とかというくらいに無限の組み合わせ、自由な型で表現を続けている。音楽に国境はあるがミュージシャンには国境はない筈だという近藤さんは、常に世界レベルで動いて、地球レベルで物事を考えているのだろう。
日本人はいつしか誰も決めていないルール‥‥大学を卒業したらすぐに就職しないといけないとか、サラリーマンは家を買わないといけない。モノを買って消費ばかりする生活。そんなルールでもないことに、気がつけば誰かの悪巧みでうまく縛れているのでないだろうか。
そこから脱出するには個人々が考えて行動しないといけない。そんな世界から解放されるのだ!と電気トランペットの音が響いている様に感じるのだ。

そして『地球という乗り物に無銭乗車している』ということ。
地球という星に生まれて生きているだけ幸せ、まず幸せありから考えるべきだろ。いつしか我々はそんな事を忘れて自然を壊して壊して修復が出来ないレベルまで来てしまった。そしてその事をやっと最近気がついたけど。だれもどうしたらいいのか解らない。
せっかく地球という乗り物に乗っている、乗せさせて貰っているんだから、「一瞬」。一瞬を大事に地球と一緒に生きようぜ!と、そういった革命家の「気持ち」も音の中に感じるのだ。


真剣に近藤等則という革命家の音楽を聴きながら考えることは、『地球の重力からも自由になる』ということ。
近藤等則のアルバムを聴きながら、聴いている自分が地球の周りを漂いながら地球を眺めている姿をイメージすると、重力からも開放されるように小生は感じる。そしてそんなふうにアルバムを聴くことがよくあり、そんな気持ちにさせてくれるのである。

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2019年末より暴れだした新型コロナウィルス。発祥や出現はいまだに謎であり、詳しいことや事実は解らないが、これが地球の悲鳴なのかどうか。またもし、そうで無いのであれば、明らかにこれは人類への挑戦だと思う。
人類が初めて一つの共通の目標に向かって走って掴んだ成果は「オゾンホールの縮小」だったが。今回はそんなレベルではないのだ、これは人間個人々への挑戦なのだと思う。

こんな時に必要なので、国家総動員法的な押し付けられたような考え方でなく、人間一人々が真剣に考えて行動すること。お馬鹿な政府や間抜けな知事の言ってる事を真に受けて地球と人類を破滅させるのかと。
もう、これまでの考え方や生き方で地球という乗り物に乗っていたのでは通用しない。その為には人間は『自由になる』しかないのだろうか。

2020年3月15日日曜日

悪の読書日記  オリジナルズ アダム・グラント(著)

2020年 3月 15日

 『オリジナルズ:誰もが「人と違うこと」ができる時代』を読破する。久しぶりにこういった本を読んでみた。良かったのか悪かったのか、この本は決してこういったふうにやりましょう・・ってな事は書いていない。過去の大学や研究機関の調査では、こうこうこうなのだ!という数値的な情報と実際にあった内容を組み合わせて解りやすく統計的な内容が書かれている。決して、上手く行く企業の法則1.2.3.・・・・という事はないし、アイデアはこうやって作ればバンバン出てきまっせということも一切書かれていない。


タイトルのオリジナル。本書でもすらっと書かれていたが、現時点で本当に「オリジナル」というのは存在していない。過去に誰かが作った、改良した、誰かと誰かのアイデアを組み合わせてなどというアイデアなどを、「いま」組み合わせるか、改良するかで「オリジナル」である。

そういえば昔、SUN・RAアーケストラのライブアルバムをウトウトしながら聴いていた時のことである。ウトウトした状態で野球中継を観たりラジオの実況中継を聴いていると夢の中で野球場に居ることがよくあるのだが。この日はSUN・RAのライブアルバムである。
珍しくSUN・RAアーケストラのバンドメンバーにギタリストが居たらしく、しかもギターそろとかを弾いている・・・このギターの音色とギタリストが奏でるメロディーが小生にとっては問題だった。夢の中でSUN・RAアーケストラのギタリストになってギターを奏でているのである。普段自分が出すような音で自分が弾くような音階を奏でている、しかも次の音はこれだ!と思う音が次から次へと出てくるではないか・・・小生は気持よく夢の中でSUNRAって過去の人だったという事も忘れている。
目を冷まして現実に戻ったが、そのライブアルバムって何十年か前のアルバムだったことを知り、自分が出している音って、やっぱり誰かの焼き回しだったのかと思いながら・・・CDの裏ジャケットの無名のギターリストの写真を眺めていた。



さて、本書で小生が最も理解したことはただひとつ、アイデアというのは大量に考えて算出しないといけない。1つ、2つと少量のふとひらめいたアイデアを大事に大事に磨き上げるよりも、大量に産み出す事がアイデアの質をあげる近道である。

尊敬するクリエイターは、思いついた、閃いた・・・といアイデアはスマホのメモに打ち込んだり、吹き込んだりしておくらしく、あとから見ると記憶にない内容もあるとか、先日もメモの中に「乳酸菌」と書いてあったが、全く書いたことすら記憶にないらしい。
しかし必要なのは大量に産み出すことで、前述の通りそれが質を上げる近道である。そのクリエイターはアイデアは移動距離に比例するという持論があるほど移動が多い、アイデアが一番でやすい環境はリラックスしている環境と言われている。つまり交通手段で移動しているときが、そのクリエイターにとってリラックスしている状態なのかもしれない。

そして最後に必要なの産出したアイデア群の中からどれを選定するかであると。アイデアが無い人は、アイデアが出ないと悩むのが問題なのではなく、どのアイデアを選定するかが最も大事なことだと理解すべきだと・・・アイデアの打率は三割。ホームラン王の王貞治の打率もそんなくらいだっただろう。GOOGLEでさえSNSをやりはじめて失敗して既に撤退している。


また、世界を創造する人の特徴は「反抗的」、「廻りと同調しない」、「好奇心が強い」というところだ、アップルの創業者を思い浮かべる人が多いと思うのだが、正直結果論としては、あんな経営者は社員の立場からみればたまったものではないだろう。

2020年3月8日日曜日

悪の読書日記 もういちど読む 山川倫理 小寺聡(編)

2020年 3月 7日

あの佐藤優氏が推奨する『もうしちど読む 山川倫理』を読んでみた。
高校の時、理系コースだったので倫理は勉強していないと思うのだが、高校の時にこの本の内容を学んでも多分、全く記憶に無かったであろうと思うし、やはりこれを高校生が読むなら例えば、読むという勉強よりも映画やなんかを観て考える方がいいと思うのだが、自分の高校時代を振り返ると、『考える』という時間はあまり無かったのかもしれず、考えた事で記憶にあるのは・・・「パンクロックで世界平和が実現できるか?」程度で。いまもこの結論は導き出せていない。映画みてレポート書いてこいと教師に言われて、まともに書いて提出しただろうか?



しかし、どこかの高校で教材として『未来世紀ブラジル』が使われていることを聞いたことがある。
もし、高校の倫理の授業で使うとすれば『ハンナ・アーレント』がお薦めだと・・・あとフィクションからノンフィクションになった『1984』とかも。
ここまで書いたが、今だから「ハンナ・アーレント」について書けるので、高校生の時の頭でこれを観てどう小生は感じる事ができたのか疑問でかつ怪しい。


さて、「もういちど読む山川倫理」だが内容的には「もう一度」では無い事は前述の通りで「はじめて」が殆どである。
しかし、色々な哲学の本でも必ずと言っていい出てくる「デカルト」については、どの本を読んでも面白い。
「いったい俺は誰なのか」「俺の存在は何なのか?」それは本書でも同様、
そして『世界十五大哲学』(ちくま文庫)の「Ⅴ.デカルトの哲学」の章を読みなおす。
やっぱりこのデカルトという人はおかしいというくらい面白い。
「すべてのものを疑うべし」

***

最後に明治、大正時代に、与謝野晶子が1904年に日露戦争へ批判的な作品を作り『明星』が発禁処分を受けたエピソードも載っている。歴史の時間で本来重視しなければいけないのが、江戸幕府末期以降の明治時代〜大正〜昭和初期の1945年前後のあたりなのだが、多分、倫理の勉強をするのであればこの部分の歴史の時間を2in1のワンセットで学ぶ方が良いのだろうと思う。以前、ラモーンズを心から愛する友人が、この時期の歴史の時間は一年間掛けてやったほうがいいのでは?と言ってたがまさしくではないかと過去の記憶が繋が・・・「やりなおし山川倫理」を読んで思った。

我々はもっと考えなくてはいけないのでは?決して答えがでないとしても。
常識ということは怪しい、いまは正解だが、過去と未来で今の「常識」はどう判断されて今後どう判断されるのか?だから今、ひたすら考えるしかないのだろう。

この本を読んで教養は身に付かないし、「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」を読んでも教養は身に付くことはありえないが、明らかに安倍晋三夫妻よりは賢くなれると想う。

2020年3月6日金曜日

悪の読書日記 違った意味で人生を変える南の島々 高城剛(著)

2020年 3月 6日

本の読みかたを教えてくれた人物は複数存在する。その中の一人がクリエイターの高城剛である。



本は読む前から読書だ、本を選ぶところから読書は始まっているという高城氏。本を買うために食費を削った時期もあったという彼の人生相談(単なるQ&A)には本を読んだらどうだというアンサーが多い。貪るように本を読もうとしているいま、自宅の寝室は積ん読の山と日々Amazonマーケットプレイスとメルカリで購入した本が積まれている。ベッドの上にはWIREDの最近発売された五冊が積まれ、ベッドの上の寝ながらビデオと音楽も聴くAmazonのKindleのなかにはまだ読まれていない本こと電子書籍も存在するなど、年内本を買わなくても良いだろうと3月の初旬にも関わらず思うのだ。
思っているのだが気がつけば日々メルカリやAmazon、Amazonマーケットプレイスから本が送られてくる。
時々届いた封筒に記憶が無いときがあり、封を開いて買ったことを思い出す。もはや古本屋ではないかと思うのだが上には上がいるのだ。大抵そんなことである。本当にすごい奴は本を買い過ぎたなんていう発想は起きない。俺はまだまだ‥‥そんな奴等の足元にも及ばないのだと自分を納得させてまた本を買う。読むペースと買うペースは開くばかり。しかし、速読なんてつまらないことはやりませんよ。

平素お世話になっているとあるスペース‥‥‥とある企業の会議室兼図書室で勉強スペース。ここのオーナー兼主催者の蔵書本が綺麗に並べられている。その冊数は忘れたが。このオーナーであり主催者も本の読み方を教えてくれた一人である。このオーナーがここでしか読めない一冊しか存在しない本とか作ろうか‥‥と最近言ってこられた。いきなり言われても思いつくのはポルノ小説かなとアホなことが一瞬脳みそをかすめる。書きたい本は「お話し」でなく日々思ったことを纏めた内容の方がいいのかと考えたが、それってこのブログじゃんか?と。
何を書けばいい?
そういえばハリー・ポッターの作者J.K.ローリングの最新作の本は一冊しかなくて、それがオークションでとてつもない高額で競り落としたのはAmazonの創業者だった。一冊しかない本、いつかは誰かがオークションに出品するほどになるのか人生は迷走だ。ハリー・ポッターの作者は健在だが、カフカは死んでから書いていた本が出版されて有名人になった、本人は知ることもなく。

尊敬するクリエイターの高城剛は南の島の夕日を写真に撮ることを生き甲斐としており、彼のトークショーでは彼本人が撮影した南の島の夕焼けが使われることがある。そして数冊『人生を変える南の島々』という本を出版している。取材から写真とコトバは全て高城剛によるものである。そして2016年の12月、彼のトークショーで『違った意味で人生を変える南の島々』が記念品として参加者へ配布された。




これは真意か否、読者が間違えてとんでもない南の島に行かないようにとのガイド本である。数日前にメルカリでやっと購入した。
届いて驚くのは本のカバー(?)と実際の本である。やり過ぎやろ?と笑わせる演出というかこういった面白さは本好きにしか理解できず。紙の本の良さを理解し尽くした高城氏であり、しかし買っている本は電子書籍っが圧倒的に多いそうだ。確かに仕事柄移動が多いと電子書籍ほど素晴らしい物は無いと思う時があり、小生も四国の高知県へ向かう高速バスの中で電子書籍を買いまくる事をした経験がある。ただ装丁とか紙の質感とか、このページの右側のこの辺にこう書いていたなどという記憶や感触などの表現できない感覚がないのである。

それに比べるとこの本は面白い。真逆だ!本の世界を知り尽くしたというだけでなく、本の世界に取り憑かれた男の面白本、しかも『非売品』でAmazonでは売っていない。内容はもっと面白い・・・
日本のテレビで、楽園だ!素晴らしい!、美しい!ってな感じで紹介されている南の島が、実はとんでもない島だったりするそうだ、その島も紹介している。ほかに、米軍の基地があってリアル秘密基地の為、地図に無い島。旧日本軍の軍艦が周りに沈む島、毒蛇の無人島、テロリストの島、ゴミの島、昔ボブディランに楽園と歌われいまは廃墟の島・・・悲しいのが太平洋戦争以前は日本の領土だった島が多いということ。日本が強かったとか、昔の日本は・・・でなく、先進国の勝手な態度で本来住んでいた人々の人生や生活が無茶苦茶になったんだろうと思うと悲しい。あまりこのあたりの話は出てこないし、よく我々が先の戦争での悲しい話をしたり、サイパン島の海に残る日本人の遺骨の話をするが、まだまだ南の島へ行けば沈没した日本軍の戦艦と共に遺骨が沈んでいるんだろうと思う。
高城もこんな海でダイビングして沈没した日本の戦艦を見ても何だか・・・ってな意味のことを書いている。


しかし、日本のメディアで絶賛美しいと賞賛された島が実はこんな島だ!と紹介されているそうで、メディアの戦略とは怖ろしいと感じるのである・・・そんな旅行会社とのタイアップで発売されている旅行書でなく、リアルな旅行書である高城剛の『人生を変える南の島々』シリーズの『裏本』である『違った意味で人生を変える南の島々』。まさに本来の旅行書であり、すばらしき紙の本であると言えるのである。紹介された島々には絶対に行きたくない。