2019年6月20日木曜日

悪の読書日記 ラッパ一本玉手箱 近藤等則(著)

2019年 6月 19日

人生のなかで三冊同じ本を買ったのは、これが最初で最後かも知れず。最初は90年代初頭‥‥そして、二十年以上前にアメリカへ渡ったガールフレンドへ一冊。そして二三年前に、ふとしたことから電子化(自炊)して読みたい時にいつでも読みたいと電子化用に一冊買ってPDFにしてクラウドに浮かんでいる。
尊敬するミュージシャンの一人、電気トランペット奏者の近藤等則『ラッパ一本玉手箱』は1990年に発売された本で、珍しく何度も読みなおしている本である。



1990年に発売された本書は80年代の末期に週刊朝日で約一年間連載された近藤等則のコトバを纏めたものである。時代は1989年バブル経済は崩壊、リクルート事件、天安門事件、子供を狙った猟奇殺人事件という時代の日常について近藤氏の金属バットで殴った感じのコトバが炸裂する内容と、近藤IMAバンドの活動、今日に至る近藤等則の自叙伝的な内容が散りばめられている…瀬戸内海は今治市で生まれた近藤氏がラッパを吹き始めたきっかけ、ニューヨークへ渡った話。
やはり興味深いのはIMAバンドの香港でのライブ、オーストリアでのライブ、東京でのレコーディング、ニューヨークでのトラックダウンなどの話‥‥80年代にこれ程海外でライブをやっていたのは日本ではやはりIMAバンドとラウドネス位だと改めて実感する。


読んでいて80年代と変わったところは、中国が世界第一の経済大国になった以外は日本政府の生き方も、経済以外はインターナショナルなノリがない中国政府もあまり変わっていない。
むしろ当時は日本が平成になったばかり、今考えれば平成の『平』は平和の『平』なんてよく言ったもんだと思わせる。今ではアメリカから中古の武器を言い値で買いまくる経済音痴貧国、政府は武器の購入先アメリカの顔色を伺って世界平和や核兵器廃絶を訴える事は全くやらないし、情報化社会とかなんだか知らんが『情』に報うことなくいまだに情報化社会だとか勘違いも甚だしい。テレビ番組はバラエティー番組ばかり、政府も馬鹿な政治家を選んだ国民も80年代より頭の中は正直劣化している。隣国の中国は武器さえ持たない市民を暴力で押さえつけて、先週も天安門事件を繰り返している。90年代は結局、人間精神復権の時代でなく1995年のウィンドウズ95登場で益々人間の精神は復権どころでなくなり見えない世界へ落ちていったと思う。
それがあるから今、自分はより人間精神的、肉体的な方向へ自分を動かそうとしているのではないだろうか。



しかし30年前と殆ど変わっていないと思われる時代を、今でも俺は生きているのではないだろうか‥‥‥と、この本『ラッパ一本玉手箱』を和歌山県は田辺市へ向かう長距離バスの中で久しぶりに読みながら考える。

また改めてIMAバンドの音源をいま真剣に聞くと、懐かしいという気持ちは無く、いまテレビから流れる音楽より遥かに強烈に感じるものがあり、古いという感じは全くない。IMAバンドはよくテレビに出ていた様だが、良くも悪くも80年代、90年代の初めの日本は音楽に関しては今より多様性があった様な気がする。
確かに当時は中高生に受ける音楽が大半だったが、音的に言えば幅があった様な…
気のせいか、記憶が消えているのか、昔はこうった、ああだったと爺いの戯言みたいなのはやめよう…


今年、何十年か振りに復活した近藤IMAバンドが今年のフジロックでライブをやるらしい。それだけでなく、フジロックの数日前に高円寺のライブハウスでライブのリハーサルを公開リハーサルとしてライブハウスで客を入れてやってしまおうというのだから興味津々である‥‥『ラッパ一本玉手箱』に明日は香港トムリー楽器店で12時間のリハーサル、とIMAバンドのリハーサルについて書かれている。
あの恐るべきサインプレーのリハーサルを公開するのだから観てみたいものだ、当時は12時間位のリハーサルの結果があの完璧なサインプレーだと思っていたのだが、真実は何処に?

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