2020年 1月 16日
『考えるヒント』をやっと読み終えたというか、二回目の読破だろうか?いや最後まで読んだのは初めてか?いや一度は読破したと記憶する。自分の記憶ほどいい加減な事はなく、自分の好きなように都合の良いように書き替えるのが記憶である?真実などどうでもよい。
難解というか、簡単の様で難しい本、『考えるヒント』は小林秀雄の文藝春秋や大手新聞へ掲載された文献を集めた本であるようだ。本書のために書いた本で無いことからか、著者による後書き等はない。二巻、三巻と計四巻まで発売されているようだが、一巻でこのありさまである。いつになったら四巻まで読み終えることが出来るのだろう。五木寛之氏の『いきるヒント』とは対照的だ。なかなか進まない。
しかし、既に『考えるヒント』の第一巻冒頭『常識』だけは何回も読んだという記憶だけは間違いない。ネットで『考えるヒント』を検索すると難しいけど何回も読んでいる人が居るようだ、学生時代から読み続けているとか、読んだ後に読み終えた日付を本の中に書き込んでいて今回は⚪⚪回目とか‥‥色々な人がいる。
先日年末に友人の奥様(高校の国語の教師)と話をしていて小林秀雄の話になった、その方も小林秀雄は読むたびに印象がまったく変わると言われていたのが興味深かった。そうなのであると思う‥‥殆どの読者が何度読んでも印象が異なり、読むたびに気付きが違うように、そう感じるのだろう。それは著者の小林秀雄がそういうふうに意図して文章を書いた訳では無いがそうなったのだと思う、結果的にそうなっただけで。
『考えるヒント』の中でも『漫画』は個人的に気に入った一遍である。
「のらくろ」の作者・田河水泡氏が小林秀雄の義理の弟であったとは知らなかったが、「のらくろ」の主人公(動物)は紙面でサボってばかりいるので当時の日本の軍部から嫌がらせを受けていたという話は知っていた(実は反戦漫画なのだ)。しかし、「のらくろ」は作者田河水泡自身であったことは知らなかった。サザエさんの作者・長谷川町子氏が田河水泡のアシスタントをしていたということを昔々聞いたことがある。つまり、サザエさんはよく考えたら長谷川町子本人であったはずだ。長谷川町子本人は生涯独身であったが、彼女の理想はマスオさんの様な旦那さんとタラちゃんの様な子供が欲しかったのではないだろうか?
ミッキーマウスがディズニー本人であるという小林秀雄の考えは、ディズニーがミッキーマウスの発表当時の映像を見るとやはりそうかもしれない?と考えることが出来る、たとえディズニーが誰かの書いたネズミのキャラをパクったとしても。そのキャラクター=ネズミ=ミッキーマウスの動く様子(アニメ動画)からは、作者の人を楽しませたい、笑わせたいという気持ちが十分に伝わってくる(ミッキーマウスの最初期の動画を観たことがある)。
最後に「笑いの芸術」は『一番純粋で力強いものは、日本でも外国でも、もはや少数の漫画家の手にしか無い、とさえ思われる。今日の文学者には、もう陰気な喜劇しか書かない。それは、皆が思っているほど当たり前なことであろう。』(抜粋)でこの『漫画』は幕を締めるのだが、これが書かれたのは昭和34年、1959年である。そんな過去に総小林秀雄は感じたのだろう。
「芸術」としての文学作品的なものは、やはり今でもどこか暗い感じがするのが事実。あのウィリアム・S・バロウズでさえ、文学は映画や音楽の文化に比べると何十年も遅れているといって60年代にカットアップという手法を発明して「裸のランチ」をラリって書き上げた位である。それに比べてやはり漫画は2020年の現時点でも多種多様であるが上手く使えばまだまだ日本を引っ張っていける作品があるといえる。少し表現としておかしい、又は少し違うかもしれないが、何かパワーというか漫画の勢いは今でも落ちてはいないと思う。いまは前述の通り多種多様であるのが現実で、漫画とアニメの境界線はあるのか無いのか定義としては定めるのは難しいのであるが、明らかに笑いの芸術にとどまらず、海外を含め世界的規模でを考えるとやはりそこは「漫画」という芸術でありメディア、笑い以外ででも「漫画」という芸術は不変であり力強いと思う。
それを60年前に感じていた小林秀雄はやはり鋭い感性で生きておられたのであろう。
インターネットがあたりまえの時代であっても小林秀雄のコトバや感性は消えてしまうことは無いようだ。
(不定期に続く・・・)
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