2020年7月8日水曜日

悪の毒書日記 中央線は今日もまっすぐか? イヌイ・ジュン(著)

2020年 7月 8日

30年位前に読んだ本や雑誌のコラムやなんかでよく遠藤ミチロウは良いようには書かれていなかった。ウケ狙って裸になったとか、パンクじゃないとか、パンクを利用しただけの人だとか、喧嘩が弱いとか、エゴイストだとか。しかし、ここ数年、いや十年くらいか・・・温厚な人だとか、気遣いの人だとか。スターリンの事をあんまりよく言ってなかったミュージシャンも何故か「ロマンチスト」をライブでカバーしていたりと。いったいあれは何だったんだ?
よく考えてみたら、その当時(30年位前)は、単にみんな若かって、人間の本質を理解していなかったかもしれずである。所詮パンク、だれかを攻撃したい性格なのかもしれない。それが若さゆえ・・・。



スターリンのオリジナルメンバーであった、ドラムのイヌイ・ジュン氏による『中央線は今日もまっすぐか? 俺と遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』という本が発売された。イヌイ氏がミチロウと出会うところから、つい先日の話まで時間軸に書かれたインサイドストーリーであり決して暴露本なんかでなく、「へえ〜そうだったのか」という思いが強く印象にのこった。
色々なうわさ話や、うそかホンマか解らん話の真相なども正直笑えたし、やはり話を盛っていたのか、あえて伝説を作っていた、作られていたようなことかと本当に面白かった。
どうしてヒゴ・ヒロシさんがスターリンでベースを弾いていたのか?これが一番驚いた。スターリン側からヒゴさんへベースを弾いて欲しいとお願いしたら、条件としてヒゴさんのバンド「チャンス・オペレーション」でイヌイさんがドラムを叩いてくれるならOKという逆提案をされてスターリンが解散したあと、イヌイさんがドラムを叩いていたのか、てっきりスターリン時代にヒゴさんとイヌイさんが意気投合してイヌイさんがそのままチャンス・オペレーションへ加入したと思っていたが違った。当時はそんな話はロック雑誌なんかに掲載されていたのかも知れずだが、当時の「DOLL」や「宝島」くらいしかパンクが載ってる雑誌は無かったので、いったいどうだったのかは今としては解らず。小生は初めて聞いた話であった。
よくスターリンはパンクじゃ無いと言われたりするが、日本でパンク・ロックを始めた人間の一人であるヒゴ氏が参加していたのであるから、パンク以外の何でもない。
しかし、パンクロックなんて「定義」はこの世の中には存在しておらず、定義されないこそがパンクロックではないか?それは情報と同じ様に、情報を受け取った時点でその情報は古い、過去の情報であるということと同じの様な気がする。
あのション・ライドンが昔々のはるか昔、小生が学生の頃の日本の雑誌のインタビューで、パンクファッションについても同じことを言ってた。「パンク」はこうあるべきみたいな革ジャン、破れたジーンズを履いたりする様なスタイル(形式)そのものが既にパンクじゃないと。

最近、他に読んだ本で既に今は個人そのものがメディアでありコンテンツであると。それは個人本人が「コンテンツ」化したいという欲望からそなるのではなく。SNSやなんちゃらインターネット上で使っている限り、既にそこには自分は知らないけどFACEBOOKの方が自分をよく知っているという嘘のような本当の話が現実には存在しているのである。つまり人生そのものがコンテンツ化されていまっているのだ、意図的に。
そうなれば、情報を受ける側でなく発信するアウト側にならければ面白くも何にもないではないのだろうか?そして既に焼き回しの形式通りのスタイルでは面白くも何もない。
いま、今日の時点で遠藤ミチロウとスターリンについて考えて感じたことは、スターリンというバンドの中で普段とは違う自分を演じていた温厚な遠藤ミチロウという人が、スターリンというコンテンツ、メディアをどう作り上げたかである。当時はインターネットもなければレコード会社といえばマスである。どうやってミクロを制してマスを制したのか?。でもそれは遠藤ミチロ本人が本当にやりたかった音楽だったのか・・・

謎は深まるばかりではなく、謎でも無ければ都市伝説でもない。そこには絶妙はメディア戦略があるだけである。
スターリンはパンクロックかそうでないかは、どうでもいい話しである。何もかも定義できない時代に突入してしまったのだ。そして誰もがスターリンになれる時代がやってきたのだ?

さあ、どう生きようか?


誰だぁー!!?

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