2020年12月31日木曜日

惡の読書日記 死をポケットに入れて チャールズ・ブコウスキー(著)

 2020年 12月 31日

この本を読んだの一ヶ月以上前、いや二ヶ月以上前だったか?
 
1990年代前半のブコウスキーの日記というか、エッセイを編集した本である。邦題は『死をポケットに入れて』であるが、本当のタイトルの日本語訳のようなタイトルでなく、全く違う(「船長が昼飯に行ってる間に、船乗りに船は乗っ取られた」というタイトル、直訳だけど)。93年2月で本書は終わるのだが、翌年3月9日にブコウスキーは旅達つので、日本の出版社は本書の1節をとってこのようなタイトルにしたのだと予想する。




これを読むとブコウスキーって、裕福そうな家に住んでいることが解る。家にはプール(ジャグジーバスも)あるようだし、二階建て、庭付き一戸建てである。相変わらずの競馬場へ行っての競馬人生は尽きること無く、競馬の話は今回も大量である。そんなに競馬が楽しいのかと、一度やってみようか「ふと」考えてしまう始末。小生は基本的にギャンブルはやらないので、ブコウスキーの話を体験談として自分の中で消化してギャンブルをやっているつもりになるのが正しいのであると自覚して原点に戻り納得している。
本書は、ブコウスキーがこれまで使っていたタイプライターをやめて、パソコンはアップルコンピュータを使用することで執筆した前述の内容である。
タイプライターでは、間違って打ってしまった場合の修正が相当面倒だったが、パソコンに変えたのでそんなことは簡単に修正できると、いま考えれば当たり前の話しであるがブコウスキーのシゴトはかなり効率が良くなったようで本人は高評価だ。確かにそうである、但しこのブコウスキーが使っているパソコンは1990年代初頭のアップルコンピュータ。いまの10代、20代の人には想像できないかもしれないが、デスクトップパソコンと大きなCRT、決して液晶画面では無いのである。多分、これだけのパソコンでも当時40万円〜50万円以上は掛かったと思う(記憶する)。それだけ、ブコウスキーは家もプールもあり、パソコンもありと、相当潤った生活をしていたのだと予想する。当たり前である日本語のブコウスキーの作品は出ているし、短編小説はリュック・ベッソのプロデュースで映画化されている、相当数の出版数であるのだから当然である。むしろブコウスキーをパンク作家と呼ぶことじたいが間違っているといえよう。

以前、読んだ小説「詩人と女たち」もそうだったのだが、ブコウスキーの家には色んな人が取材だとか、ドラマ化、映画化の契約云々ということでやって来るが実際は偽物だったりすることがあり、単にブコウスキーと飲みたいだけだったりする事がよくある。インターネットの普及がそれほど民間に無かった時代なので、検索などが手軽でなかったので仕方ないが、おそらく世界中でこういったことが良く行われていたのだろうと想像する。
時々、インターネットが普及していなかった、インターネットって何ですか?という1990年以前のストーリーやエッセイを読むと懐かしくなる。通信手段は専ら電話、よくてファックス。ブコウスキーは1994年に他界しているので、彼のエッセイに限らず殆どの文献がその時代に書かれているので、時代のスピードを感じる事無く読めるのである。携帯電話なんて現状殆ど使われることは少なく、時々読んでいる小説などで携帯電話が話に出てくると、どこか時代を特定できてしまい。懐かしさと自分では嫌な懐古趣味てな方向へ頭を向けてしまうのである。
そんなことを気にせず読めるブコウスキーの文章は小説、エッセイ、詩に限らず。どこか自分をブコウスキーという「沼」へと誘うのである。特にブコウスキーがとてつもなく文学的に素晴らしいとかいうことでなく、ブコウスキーの日常と、ちょっと常識をぶち壊したストーリーが何ともいえないのだ。同じ酔っぱらいの中島らも氏だったらどこか柔らかい笑いを挟む感じなんだが、そんなことは一切ありえない。むしろドラックも殆ど出てこない、キーワードは、競馬、アルコール、女である。
そしてこんなオッサンになりたいと、いつしかブコウスキーの沼へ落ちてくのである。
但し、購入は専ら時代のテクノロジーである、インターネットを使ってである。
 

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