2019年11月28日木曜日

悪の読書日記 卍ともえ 野坂昭如(著)

2019年   11月   27日

何十年か前に読んだ野坂昭如の『エロ事氏たち』を読んだあとの感覚を思い出した。何十年か前のあの感覚である。
『無茶苦茶な話やんけ…』
そろ以外なはない。野坂昭如の小説はこれが生涯二冊目。『火垂るの墓』さえ原作を読んだことさえない。



簡単に言えば『エロ事氏たち』が江戸時代へタイムワープして大阪は天満を舞台にお化け話とエロ話が合体したという無茶苦茶な話。
骨、墓荒らし、死体愛好家、近親相姦、マゾ婆…何やねんこれは?
結局、関係ない方々が可哀想に殺されてく話やんけ!と、カルト小説だな、これは。
よくこんなストーリーを思い付いたものだと、何度読みながら感心したが、その都度脳裏には酔っぱらってる野坂昭如か大島渚を襲撃する野坂昭如の姿しか浮かばない。

読んでいて疲れてくる野坂昭如の文章は古文ちっくに書かれているから、これまた苦痛極まりなく、いったいこの荒唐無稽なアホ小説はどの様に結びに向かって行くのか、途中何度か挫折しかけるも、本来なら読み始めた本がつまらなくなったら直ぐに読むのを辞めて次の本を読めばいいというセオリーを無視して最後まで読み通したが、ブログのタイトル通りのリアルな悪の読書であった。

昭和という時代の小説であり、講談社文庫の昔々版(昭和50年初版本)で買った為か、今では使わないというか、使えないコトバが見受けられる。これに関しては野坂昭如が生前、朝まで生テレビで発言していた如く。面白い、素晴らしい落語が出来なくなったと、コトバ狩り(なんでもかんでも差別用語と決めつけて使用させない)を批判していたのを思い出させた。
最近、出版関係の方と話をした際、キチガイというコトバはいつの間にか差別用語にされてしまったが、語源はそうでないことを教えて頂いた。
時代は結局、説明したくないことを単に蓋だけをして何も解決策を思考せずここまできて、その処理に困り果てて結局は日本の得意である「無かったこと」にしているだけなのだろう。
野坂昭如氏の随筆を読むとその点も含み激しく現政権を激しく批判をしている。


著者は晩年テレビで酔っぱらってるオッサンでしか無かったが、『エロ事氏たち』、『火垂るの墓』と、この真面目過ぎる話から荒唐無稽なアホ小説といつもテレビでは酔っぱらっていたこの振り幅の広いイメージ全てが野坂昭如だったのだろう。

この小説は野坂昭如の代表作では無かったが、野坂昭如の才能を超変化球で見せ付けられた作品であった。当時は書き下ろしでなく、某スポーツ新聞に連載されていた作品らしい。それも時代を感じるが、やはりドラッグはやらないけど日本のウィリアム  バロウズなんだろうと、『火垂るの墓』以外の野坂昭如の本を読みたいと思う。




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