2019年8月14日水曜日

悪の読書日記  絹と明察 三島由紀夫(著)

2019年 8月 14日

よくもまあ三島由紀夫は戦後の工場のストライキの話をベースに、こんな小説を作り上げたものである(1954年の実際にあった近江絹糸争議の話しである)。
話は経営者の駒沢は個人敵利益の為に紡績工場を経営していたわけでは一切無かったが、今考えても当時としては相当従業員のプライベートへの関与はやり過ぎである。利益が経営者個人の為で無かったゆえに、そこに気が付かなかったのえあろう・・・・。若い従業員の手紙を寮母が勝手に開封する、外出は許可制など、軍需工場かよ?と戦後の時代にはこの勘違いというのになかなか経営者は気が付かなかったのだろうか?と、しかし気がついていたにせよ、当時の従業員は東北地方出身者などが多く、兎に角毎月給料が貰えれば・・・というような両親と親孝行の心で成り立っていたので暗黙の了解みたいなところがあり、クレームはたいしたことないと会社側も考えて適当にしていたのだと思う。それが高度成長を支えていたのは事実で、その後に起こる公害問題なんかは当時行政にかけあってもその工場のおかげで市がなりたっているので市民の訴えを退けていたお陰で状況が悪化したのも事実である。非常に良くない時代であった。



そんなあんまり良くない時代と実際に起こった近江絹糸のストライキ事件、ストライキを先導する若者と工場の経営者、哲学好きのオッサンの個人的利益追求の駆け引きをうまく混ぜあわせて小説にしている三島の手腕はなんとも言えない技術である。経営者は人間は苦労してなんぼ、だから若者は苦労したらええんや・・・という従業員の事を息子、娘の様に思ってやっていたことが結果的に裏目に。小説には一切書かれていないが、近江商人はやたら「金(カネ)」に細くセコいそうだ!。多分、経営者は私腹を肥やさなかったけれど従業員の給料は低く抑え、時間外労働は激しいがきっちりと時間外労働分はの給料は払わなかったのだろう。マルクスの資本論にもあるように時間外労働(この分の給料を払わない)こそが利益だ!という思想で爆走し、内部保留金は相当あってこの金で将来の設備増設などと考えていたのだと思う。残念ながらこの場合必要なの福利厚生なのだ!それが経営者として大きく抜けていたのだ。
その抜けた部分を利用されて結果的に・・・・経営者は自分の命さえ縮める。

どう考えても今の時代に読むと、そんな経営者おるんか?になるんだが。戦後十数年なんて、実はこういった企業は多かったんでは無いだろうか?この小説に出てくると駒沢という経営者は私腹の為に利益を追求はしていなかったが、私腹の為に利益を求める経営者が普通であろう。今なら私腹のために会社を経営しないのなら社会起業家だ。


舞台が彦根〜京都と琵琶湖周辺なので関西人には土地勘があるので実際に出てくる場所や神社仏閣など直ぐに想像出来たりする。また三島の書く言葉の美しい表現がまた興味深い。三島は文章を美しくコトバを書く事を優先する場合と、お手軽な面白さを優先する場合があり、この小説は間違いなく前者である。前者も後者も小説としては完全に三島由紀夫ワールドなので手を抜いたストーリーはこれまで読んだ記憶はなく、どれも100%全力三島ワールドに近いと思える。つまり読者層を考えてストーリーを難しく美しく表現するか、ポップに表現するかのバランスを上手く使い分けていた結果と言える。
毎回『お見事!』と読んで言ってしまう三島由紀夫ワールドであるが、今回もである。

実は極端に言えばこのストーリーは会社乗っ取り大作戦なのである。それは結果的にそうなったのか、そこまで計算されていた話なのかは小生の頭の中ではよく解らないが。多分、三島にしてはどっちでもいいところで、三島はこの話のなかでは全く違ったテーマを含めていたようである。
それが「父親」である。
ここからは人それぞれの想いがココロに巡るんであろう。またしてもやられた。

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