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2019年11月2日土曜日

悪の読書日記 金閣寺 三島由紀夫(著)

2019年 11月 2日

やっと・・・読み終えた三島由紀夫『金閣寺』。購入したのは20代前半、営業職をやっていてふと立ち寄った亀岡市の古本屋だった。そこでこの本を購入したものの結局は会社の引き出しに放置され、やがて席替えなどの関係で物置に放置されていたのを一ヶ月ほど前に救出した次第。
その間約二十数年・・・購入当時から既に色褪せて変色していた本はさらに変色を増して、素晴らしく古本という風情を強調させている。背表紙カバーにはバーコードも無く、定価は120円、昭和46年の26刷である。



話は実話をベースにした物語・・・であり、書かれている地名も大学も実際に存在する内容で京都を舞台にしたの為、比較的に想像しやすい街並みである。時代が戦後の話なので想像する街並みとは掛け離れているのだが場所や駅などの距離感覚は想像できる・・・・

主人公はいつも目の上45度に金閣寺が存在する男、京都は大谷大学の学生である。金閣寺の美しさにココロを拘束された為、何するときも金閣寺が目の上に自分を観ているので、女性とは最後まで辿りつけない・・・・金閣寺と自分の関係が切れてしまった時、男は金閣寺を破壊することを目論む。
「世界を変えるは行為でなく、意識だ」という友人であった柏木のコトバの通り、意識を変えることで彼の世界は変ってしまった。
最後に男は自殺するつもりでいたが、結局最後にやっぱり「生きたい」と思う意識へ・・・男はまた変ってしまったのか。

しかし、彼の意識を変えたのは、友人の柏木であり、鴨川であり、師でもある金閣寺の住職である。
人が特定の人と巡りあう確率は、空から小さな隕石が落ちてきて、見事に自分んちのトイレの便器にポチャンと入る確率にちかいという・・・・そんな中で巡りあった人の影響をうけて男は変わっていく。そして夜の京都で女遊びをする師と偶然出くわしたことで、男のココロにあるこれまで構築してきた壁に開いていた小さな穴から、溜まったゲロが吹き出して壁は壊れてしまうのである。
やがて男は生活も変わり、ボーッとした日々を過ごし続け、とんでも無い行動へと走っていく、まさに意識が変わると世界が変ってしまうのである。

そして、
三島の作品は最後の最後の数行で、再び読み手をいい意味で裏切る。
またしても「金閣寺」で裏切られた。

過去に一度だけ金閣寺に行った事がある。
もう行くことは無いだろう、この本を読んだ読んでないに関わらず。お寺を巡るのにはあまり興味がないだけである。


2019年8月14日水曜日

悪の読書日記  絹と明察 三島由紀夫(著)

2019年 8月 14日

よくもまあ三島由紀夫は戦後の工場のストライキの話をベースに、こんな小説を作り上げたものである(1954年の実際にあった近江絹糸争議の話しである)。
話は経営者の駒沢は個人敵利益の為に紡績工場を経営していたわけでは一切無かったが、今考えても当時としては相当従業員のプライベートへの関与はやり過ぎである。利益が経営者個人の為で無かったゆえに、そこに気が付かなかったのえあろう・・・・。若い従業員の手紙を寮母が勝手に開封する、外出は許可制など、軍需工場かよ?と戦後の時代にはこの勘違いというのになかなか経営者は気が付かなかったのだろうか?と、しかし気がついていたにせよ、当時の従業員は東北地方出身者などが多く、兎に角毎月給料が貰えれば・・・というような両親と親孝行の心で成り立っていたので暗黙の了解みたいなところがあり、クレームはたいしたことないと会社側も考えて適当にしていたのだと思う。それが高度成長を支えていたのは事実で、その後に起こる公害問題なんかは当時行政にかけあってもその工場のおかげで市がなりたっているので市民の訴えを退けていたお陰で状況が悪化したのも事実である。非常に良くない時代であった。



そんなあんまり良くない時代と実際に起こった近江絹糸のストライキ事件、ストライキを先導する若者と工場の経営者、哲学好きのオッサンの個人的利益追求の駆け引きをうまく混ぜあわせて小説にしている三島の手腕はなんとも言えない技術である。経営者は人間は苦労してなんぼ、だから若者は苦労したらええんや・・・という従業員の事を息子、娘の様に思ってやっていたことが結果的に裏目に。小説には一切書かれていないが、近江商人はやたら「金(カネ)」に細くセコいそうだ!。多分、経営者は私腹を肥やさなかったけれど従業員の給料は低く抑え、時間外労働は激しいがきっちりと時間外労働分はの給料は払わなかったのだろう。マルクスの資本論にもあるように時間外労働(この分の給料を払わない)こそが利益だ!という思想で爆走し、内部保留金は相当あってこの金で将来の設備増設などと考えていたのだと思う。残念ながらこの場合必要なの福利厚生なのだ!それが経営者として大きく抜けていたのだ。
その抜けた部分を利用されて結果的に・・・・経営者は自分の命さえ縮める。

どう考えても今の時代に読むと、そんな経営者おるんか?になるんだが。戦後十数年なんて、実はこういった企業は多かったんでは無いだろうか?この小説に出てくると駒沢という経営者は私腹の為に利益を追求はしていなかったが、私腹の為に利益を求める経営者が普通であろう。今なら私腹のために会社を経営しないのなら社会起業家だ。


舞台が彦根〜京都と琵琶湖周辺なので関西人には土地勘があるので実際に出てくる場所や神社仏閣など直ぐに想像出来たりする。また三島の書く言葉の美しい表現がまた興味深い。三島は文章を美しくコトバを書く事を優先する場合と、お手軽な面白さを優先する場合があり、この小説は間違いなく前者である。前者も後者も小説としては完全に三島由紀夫ワールドなので手を抜いたストーリーはこれまで読んだ記憶はなく、どれも100%全力三島ワールドに近いと思える。つまり読者層を考えてストーリーを難しく美しく表現するか、ポップに表現するかのバランスを上手く使い分けていた結果と言える。
毎回『お見事!』と読んで言ってしまう三島由紀夫ワールドであるが、今回もである。

実は極端に言えばこのストーリーは会社乗っ取り大作戦なのである。それは結果的にそうなったのか、そこまで計算されていた話なのかは小生の頭の中ではよく解らないが。多分、三島にしてはどっちでもいいところで、三島はこの話のなかでは全く違ったテーマを含めていたようである。
それが「父親」である。
ここからは人それぞれの想いがココロに巡るんであろう。またしてもやられた。

2019年4月30日火曜日

悪の読書日記 命売ります 三島由紀夫(著)

2019年 4月 29日

テレビを付けると、何かと「平成最後」と煩いものである。俺は今を生きているのである。元号が変わろうが俺の人生にはそれほど変化はないのである。平成最後などのぬかす前に、平成という時代に中途半端になっている事を綺麗に対応したらどうなのだ!!と怒りしか感じない2019年のゴールデンなんちゃらである。



1970年にこの世を去った三島由紀夫が1968年に週刊プレイボーイ誌に連載していた『命売ります』である。ここ数カ月三島のこれまで読んでいなかった小説を読むようにしているが、新聞(しかも朝日新聞)や雑誌に掲載されていた小説がけっこうあるのだが、週刊プレイボーイに掲載していたとは驚きである。ノーベル賞候補になるようなレベルの小説家が、週刊プレイボーイにである。今で言えば村上春樹がSPAやサイゾーに小説を連載しているのと同じくらいの話と思うのだが・・・。

しかし、流石の三島である、内容も文章も週刊プレイボーイの読者層にレベルを合わせているという感じなのである。内容も三島テイストながら、非常に読みやすくスイスイと読んでいきしかも三島ワールドに気持ち良く引き込まれるのである。これぞ、天才の技なのか・・・と思わせざるを得ない。



実は昨夜久しぶりに先日お亡くなりになられたモンキー・パンチ氏の「ルパン三世」(漫画)を読んでいたためか、三島のこの小説を読んでいくと頭のなかでモンキー・パンチ氏の絵(キャラ)が動くのである。しかも内容が内容だけにである・・・タイトルは『命売ります』、そのまま命を売りますという商売を始めた主人公、やってきた仕事はモンキー・パンチが描くルパン三世の漫画そのもので、話の内容も同じようなお色気ありのハードボイルド的な内容なのである。登場してくる悪役もピストルとか持って出てくるという三島にしては軽すぎるストーリーであるのは前述の通り、週刊プレイボーイに掲載されていたからであるのだが、もし昨夜「ゴルゴ13」を読んでいたら少しは感じ方が変わったはず。いや、少しでなく相当イメージが変わったのだろうと思う。そう考えると、読書というのは本を読む順番も注意しなければいけないのである。特に小説などは・・・。

話は、自殺を決意した男、主人公が自殺に失敗して、命を売ることを決意し新聞広告へ「命売ります」と掲載するのだが、やってきた依頼で命を売るつもりが前述のようにハードボイルド的スパイ小説に出てくるような謎の仕事が舞い込んできて結局命は売れず、金(財産)だけが増えていく・・・そしていつしか主人公は、自分の命を守ろうとするのだが。それぞれのエピソードが実は・・・という展開は、ここ数年熱狂的に観る唯一のテレビドラマ(海外ドラマ)「ブラックリスト」のシーズン1そのものなのである。FBI捜査官が犯罪コンサルタントの男通称レッドに指示されて悪人共を逮捕していくのだが、実はレッドに適当に指示されていたのでなく、レッドの目的の為に順番通りに指示されて逮捕していた事だったとシーズン終了間際にFBI捜査官は気がつくのである。この『命売ります』は読みながら、そんな話しじゃないのか?と思っていたら・・・である。この『命売ります』は三島にしてはあまり有名な小説ではなく1998年にやっと文庫化(しかも筑摩文庫)された作品で、海外で英語に訳されて販売されている事はないと思う。アメリカ人のテレビ番組スタッフがこれを読んで参考にした事はおそらく無いだろう。
しかし、面白いのは主人公が話後半以降は命を守ろうとする態度に一転するところである・・・そしてそれを利用して窮地を脱するのだが、最後は三島の特徴である、読み手を裏切ってプッツリと切れて終わるのである。これが三島の作品の面白いところであると思っている。
また、新潮社が全集には入れたが、文庫化にしなかった理由も読んでいてなんとなく解るような気がする・・・いやはや、これを書いた三島も凄いが、当時三島にこれを書かせた編集も凄い。









2019年3月7日木曜日

悪の読書日記 禁色 三島由紀夫(著)

2019年  3月  7日

80年代英国のロックバンドであった『ジャパン』のデヴィッド・シルビアンというヴォーカリストの愛読書は三島由紀夫の『禁色』だそうだ、三島由紀夫を尊敬するミュージシャンは多く、ストラングラーズのJJバーネル、ビヨーク、イギー・ポップ、44マグナムの広瀬さとし…などあとを絶たない。
しかし、外国人がよくこの三島由紀夫などという作家の難しい本に感銘をうけるのかよく解らなかったりする。



それが『禁色』なんていうかなり長い長編小説になるとなおさらである。
日本人の小生が読んでいても難しい言葉や表現がでてくる。
それは難しいという表現は極めて相応しくなく、なんという表現なのか?と感動させられる文章が多い。『禁色』は読み始めた頃は気にいった表現をメモしたりしてみたが、本を読むノリが悪くめんどくさくなりメモする事を挫折して諦めた。しかし、三島由紀夫は何という表現をするのか、そして何というストーリーなのか、話が進むほどこの話にのめり込んでいく自分がそこにはいた。
こんな素晴らしく美しい表現を英語やフランス語に訳して、この美しい表現が日本語圏以外の方に上手く伝わるのか?伝わっているのか?と疑問が残るが、逆に同じことを英国のオスカー・ワイルドやコナン・ドイルのファンなどの方々は思っているのかも知れず‥‥大きなお世話なのかもしれないが、そんな事は別として『禁色』は小生が今まで読んだ三島由紀夫の長編では一二を争う出来映えである。

表現も美しいが、内容はさらに美しいというのは嘘で、なんという展開の展開!?という話。
よくこんな話を思い付くものだ、政府が人生100年と言って年金制度が崩壊していることから感心をそらす制作の2019年の現在でも65歳はまだまだ働ける時代、引退した女好き老作家65歳の自分を裏切った女性への復讐大作戦として、女を愛せない若い美男の家庭の事情を利用して、50万円(戦後の物価たからかなりの大金)で好きでもない女と結婚させてあれやこれやと利用して復讐していく無茶苦茶なストーリー。

主人公は言われた通り老人の指示されたとおり行動していくが、段々と人間が変わっていく…そして老作家も変わっていく…
何が無茶苦茶かというと、話の殆どというか女を愛せない男が主人公なので恋愛の部分は殆ど男と男…ベッドシーン的なところはちょくちょくでてくる。露骨な表現は全くない。
まあ、 昭和30年代にこんな話が本に出来たものである。

しかも当時は『禁色  第一部』と『第二部』に別れてかつ当時は別々の雑誌に連載されたのち書籍として出版された、その間に三島由紀夫の海外旅行で約10ヶ月のブランクがあったらしい。それでも三島がこの第一部の続編第二部を書き続けることが出きるのは…これぞ三島由紀夫の表現力の実力であり、それだけのだれにも文句をいわせない美しい表現で美しい文章で読み手を圧倒させていけるからだろう。その力は三島が死んで50年近く経ったいまでも読んでいて健在である。


個人的に三島由紀夫のストーリーは最後の最後に『あれ~』って、感じのあと味を残して終わるというか、いい表現かどうか解らないが、作者が読書を良い意味で裏切りような展開。またはそう思わせる感じがして終わると思っている。今回はどうやって俺を裏切ってくれるのだ!? 悠一、俊輔?よ!と、残りのページが後僅かになると、俺の心がそう叫ぶのである。

そして今回も…

そして読み終えた後の複雑な気持ちが複雑なのである。この2週間程度のこれを読んでいるとなんだか不思議な気持ちになる、いい感じの感覚が明日からは無いのである。
なんか、心が空白なのである。しかし、いまからこれを再読するパワーは今はない。もう少し時間が欲しい。

この本を愛読書としてる人々は、もしかして俺と同じ『不思議な』気持ちをいつも持ちたいからこの本を愛読書にしているのではないだろうか?
そうであればこの本はコトバの麻薬、ドラッグであり常習性があるのか…やはり無茶苦茶である。

今回も三島おそるべし。


2019年2月17日日曜日

悪の読書日記 お嬢さん  三島由紀夫(著) 

2019年  2月  17日

日本語の歌(曲)やコトバが、何とか普通に脳ミソに入ってくるような日々に戻りつつあり、小説(物語)・・・しかも日本語のストーリーに身を委ねることも出来るようになってきた。身を委ねるとは大げさな表現である。が、三島の作品とはそれほどの物だと言えるというかそう思っている。三島由紀夫の初期というべきか、いわゆる戦後1950年代に書かれて新聞(しかも朝日)や雑誌に連載されていた軽い小説は精神状態のリハビリとしては最適といえる。三島テイスト(表現としては失礼な表現で申し訳ない)があるちょっと変わった恋愛小説って感じかと。日常のこんな精神状態でいきなり後期の超大作『豊饒の海』などは恐ろしくて、本屋で平積みされている『豊饒の海』が目に止まる事が嫌悪感ありなのである。



三島由紀夫の『お嬢さん』は戦後直後という時代の話で、焼け跡そのままの土地というような表現が出てきたり、赤電話が出てきたりと自分自身が生まれるかなり前の話で、ちょうど高度成長期に突入する頃の話しであると感じる。
話は極めて簡単に書くと、大手企業の取締役部長さんの娘であるお嬢さん「かすみ」と、かなり遊んでいると思われる男性、「景一」が結婚する話、結婚した話である。
その主人公の一人、景一の貯金が「15万円」もある!という表現があるように、現在の2019年と物価が相当違っている。今の10代の若者がこれを読んで話に付いていけるのか?どうか、少々心配になる。が、そんなもん心配する世界ではなく、他人のことより自分の心配が先なのであるが・・・心配というより、物価の違いなどについて理解しているのだろうか?。しかし、10代で三島のこの小説を読んだりする人は文学部の学生か余程の物好きな奴である。学校の先生が夏休みの宿題の課題図書にこれを選ぶことはありえない。反面教師で読ませると面白いのだが、それは国語の授業でなく現代社会の教材には適している。なんせ結婚する前に相手の身元調査とか普通でやってしまってるのである。

この小説が凄いというのは前述の昔々を思い出すという点でなく、主人公の二人の結婚生活が段々と変な悪い方向へ進んでいくのだが、それを解決に導き、解説をする人物が「おやっ?」と思わせるストーリー展開なのである。なんでこの人がここで出てきて話を解決に導くのか?これは最初からこういう話にしていくつもりで三島が計画していたのか?それとも連載していた雑誌の編集から「先生、そろそろ話を終わってもらえませんか?」と言われて考えたアイデアなのか、どちらにせよお見事なのである。
世の中には、よくもこんな軽い小説を三島のくせに書きやがって!!と思う人も居るかもしれないが、それは今現在から観察した話で、リアルタイムの評論ではまた違っていたのでは無いだろうか。
そんなことよりも、三島のこんな軽いストーリーの小説と他の有名な重いストーリーのギャップを楽しうほうが健全である。

ちなみに掲載されていた雑誌は『若い女性』という、講談社の雑誌である。雑誌名からして、いま考えたら笑える、子供のころ家に母親が読んでいた「ミセス」という雑誌があったが、今もあるのかどうか・・・・やはり時代を感じさせる名作である。

2019年2月3日日曜日

惡の毒書日記 にっぽん製 三島由紀夫(著)

2019年 2月 3日

三島由紀夫の長編は久しぶりだった気がする・・・、いや違うか?記憶は既に崩壊している。

先月、1月から、気持ちというかメンタル面が壊れかけており、しばらく日常の仕事以外で日本語の音楽や書物を扱うのを控えていたが、ほんの少しだけ日常に戻りつつあり。何とか、書物を読んでは『日常』を取り戻しつつ・・・少しでも読んだ書物、文字の集合体の一部について記録しておこうかという事で、今までとは異なる思考回路になればいいのかと考える。SNS全盛の時代なのか、スマホでSNS登録活用をしている人はスマホ所有者の8割だとか・・・そんな時勢にも関わらず、何故かブログというものを選択してしまった。

いったい誰がこのブログを見つけてくれるのだ?


















三島由紀夫『にっぽん製』、読み終わると、何が『にっぽん製』だったのか?。主人公の女性が一年間のフランス留学(旅行ちゃうんか!!)からの帰りの飛行機から話が始まるので、このタイトルなのかと?いや、にっぽん製なのは男性主人公なのか?
それが率直な感想の一つであった。

しかし、タイトルはさておき・・・グイグイと引き込まれる三島の初期長編小説(1953年発行)。なんだか段落が短くコマ切れ的だと思って、ひょっとして新聞にでも連載されていた小説なのかと調べたら、朝日新聞に連載されていたとの事である。娯楽的作品として捉えられている為かあまり評価はされず全集に収録はされているものの、文庫本になったのは最近で、三島の没後40周年記念という事である。娯楽的作品としても三島の幅の広さを考えてもこれが21世紀に文庫化された作品でるというのは少し複雑である、三島の娯楽作品と言われれば既に文庫化された作品はいくつかあるのでは?と思うのであるが。
また、この作品が映画化、ドラマ化しているという事が娯楽作品であるとの根拠とされていたのだろうか?
とにかく『にっぽん製』はメジャーながらマニアックな作品であると言える。

何と言っても、当時の日常においての描写や説明が内容と共に面白い。蒲郡にある実際のホテル、資生堂ギャラリーにダンスホールや日常行われていた停電、当時は高度成長期で電機の需要が追いつかなかったのである。そして主人公の一人、柔道家の栗原が務める会社は鉄鋼関係、彼の所属する柔道部の試合で闘う相手も製鉄会社の柔道部である。やはり当時は『鉄』の時代だったのである。
そして柔道である。闘う男三島でボディビル、ボクシング、剣道というイメージがあるが、ここは柔道というのはフランスでの試合帰りはやはり柔道であろう。柔道でなければ成り立たないのは安易に想像出来る。

最後の展開は「読者の想像にお任せ」でブチッと、読者の方に結果はおまかせ!という問題定義をぶつけることなく終わるのであるが、その結果が前述にも書いた『にっぽん製なのは男性主人公なのか?』という小生の、実はおフランス帰りの女性主人公がフランスかぶれでなくにっぽん製だったよりも、純粋なにっぽん製は男性主人公・栗原正のことだったのではないだろうか?と・・・。

*****

一時期、小説(文学、ストーリー)を読むのをやめていた時期があった。どういうわけか読むのを嫌っていた。ストーリーを読んで、何がテレビドラマを観るのと違うのか?そこから何を学べるのか?とビジネス書を大量に読んだほうが良いのではないかと読み漁っていた。しかし、ビジネス書から学べる事はあったがやはりそれは小技の集合体で、それは絶対に悪いものではなく、知っていれば有効な武器であった。ライダーキックの出来ない仮面ライダーはちょっとだけ弱さがあるが、それ以前に仮面ライダー本郷剛は基本的に強いのである。この「強い」という部分はビジネス書をいくら読んでもそれほど強くはならないのであると。すぐに身につく教養が存在しないのと同じであり色々なモノを読み、色々な角度から観て思考しなければ「強く」はならないと・・・しかし、三島を読んで「強く」なるかは疑問であるが、一冊読んで人は強くなることはない。
しかし、三島を読んで考えていけばいくほど、この作家の面白さと恐ろしさが見えてくる。それが世間になんと言われようと。