2019年10月22日火曜日

悪の読書日記 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹(著)

2019年 10月 22日

今日は国民の祝日である。右も左も関係ない自称「なんちゃってアナーキスト」において、単に休日なのである。
先日10月18日に開催された読書会の課題図書である村上春樹(著)「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に関しての小生の読書会用のメモを纏めてブログにあげてみた。また読書会の中でのあれこれ持論云々や他社批判も纏めてメモとしてブログにあげてみた。
(ランダムにアップしてあるだけである)




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村上春樹氏・・・について

実は村上春樹氏の本を読むのは初めて。正直興味が無いのである・・・80年代村上龍と村上春樹と、どちらかといえば当時は村上龍の方が好きだった、簡単に言えば村上龍はいい意味での暴力的なロック、村上春樹はお子様ランチ的なロックってイメージだったが。結果的にその通りではないか、村上龍はジャンキーバンドのローリングストーンズが似合う感じがする、村上春樹は万人にウケるビートルズだ。
小生、ビートルズは嫌いだ!!

読書会で知った事だが、世の中には熱狂的な村上春樹ファンの方がいるようだった。読書会ではアホみたいに現在の世界の大衆メディア(ハリウッド映画や漫画)などに村上春樹が影響を与えている・・・という意見は笑えたが、ハリウッド映画に影響を強く与えているのは村上春樹でなく士郎政宗など日本の漫画である。そしてハリウッドのSF映画のベースはなんと言ってもP.K.ディックである。ディックとマーベルコミックなしにあらず。

村上春樹氏が80年代半ばに「啓蒙かまぼこ新聞/中島らも(著)」の「あとがき」を書いていることさえ知らず、マニアとは言えず脇が甘い。
その「あとがき」は笑えるくらい面白い内容なのである。そしてそこに今から世界旅行へ言ってくると書かれているのだが、どうやら読書会の色々な方の意見や話から時期的に言えば日本から脱出して次作「ノルウェーの森」を執筆するための旅行だったようである。


★★★★★★★★

個人的感想:世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド・・・メモ

・これはP.K.ディックの小説と言ってもいいだろう・・・ニューヨークの街でおこる話にすれば、明らかにディックの小説になる。しかし、小生が読んでいるのはディックの原文でなく日本語訳なのでそのへんの細い描写は双方難しい関係であるが、話の内容は明らかにディックである。と、間違ってもJ.G.バラードの小説ではない。不条理、不正義の世界をそのまま押し通すストーリ展開のあのバラードの小説ではないと思いながら読んでいたら一行だけバラードについて書いてあった。
・登場人物は固有名詞が一切出てこない。日本人で出てきた固有名詞は近藤正彦と松田聖子である。最初は時代を感じさせない為にあえて時代を感じさせないように書いているのかと思っていたが。全くそうでなく、ドアーズが解散してから十数年とか、松田聖子云々など80年代半ばが舞台だとハッキリ解ってしまう、これは意図的なのか?(海外翻訳版はSEIKO MATSUDAなのか?:英語なら)
・意識の中で生きていく?それ、サイバーパンクやろ?ウィリアム・ギブソンの小説みたいやんけ・・・としかし「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」も80年代半ば時同じ時期に発表されているので、サーバーパンクは関係なし。ウィリアム・ギブソンがテレビ番組Xファイルの為に書いたストーリは、システムのなかことサイバー空間に意識を逃がす奴らの話だった。
・世界の終わりにでてくる図書館の女の子・・・記憶の母親が奏でるメロディーと主人公の男が現実世界で聴く音楽のメロディー・・・「ドアーズ」の「the END」ではないのね。この歌詞の方が重いし内容にあっている気もするんだが。でもこれ使ったら、映画「地獄の黙示録」のラストになってしまう。
・2つの世界(ストーリー)が同時に進む、やり方というか書き方としては斬新かと言えばそんな感じはしない。むしろバロウズ(ジャンキーのほう)が言っているように、文学の世界は映画や音楽に比べて何十年も遅れている。それはいまだに変わらない。かと言ってバロウズの手法カットアップは斬新過ぎる(今でも)。
・絶望的なラストで終わる。男は死に、女はいつもの日常に戻り、博士は悪気もないかの如く海外へ・・・結局主人公の男だけが死んで終わる。「ええっ?」って感じだが、芸術的な話(結末)である。南河内万歳一座の座長内藤氏が、ハッピーエンドで終わるのでなく、「ええっ?なんでこう終わるの?と問題提議して終わる」というギリシャ人の哲学家の芸術理論があると昔ラジオで言っていた、この理論はその後の小生の人生を大きく変えた。実際に南河内万歳一座のストーリーはハッピーエンドというよりかは・・・である。まさしくこの小説は前述の理論に近い。
・ハードボイルドの世界、幻想(意識)の世界・・・、ハードボイルの世界が(主)で、幻想(意識)の世界が(副)である。これが逆転したらどうであろう?
・ウィキペディアでちょっと調べたら、この小説を読んで人生観が変わったとかいう作家さんがいるとか。「お前、もの知らんのか?」と言いたくなる。


★★★★★★★★

読書会:世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド・・・メモ

・カフカ⇒安倍公房⇒村上春樹の流れ・・・南河内万歳一座の内藤氏も安倍公房をよく読んでいたらしい。明らかに安倍公房の影響を強く受けている。
・80年代のバブル経済の感覚が残っている。そういった感覚は小生にないが、80年代に既に社会人だった方やリアルタイムに本書を読んだ方はそう感じるのかもしれない。
・必要のない部分が多い。確かに、バラードに関する記述などは不要としか言えない。それが著者の魅力ではないのか?他の小説は解らんが。
・幻想(意識)の話は著者の初期短編がベースになっているらしいが、その小説は本として出版はされていない、月刊誌に掲載されてそれ以降は陽の目をみていないそうである。ミュージシャンで初期作品は気に入らないから販売差止めしたり自分で買い占めたりする人に近いな。
・村上春樹の小説には共通して出てくるコトバやセリフがあるらしい。残念なことに村上春樹氏の小説はこれ以上読まないので小生には関係ない・・・。次作の「ノルウェーの森」についてもどうでもいい、ビートルズ、ジョン・レノン云々などは糞食らえである。
・主人公の頭の中の回路図、よくわからない。小生も読みながら先を急いだ為、深く考えずに飛ばしたが、それはそれで問題が無いようにストーリーはできている。
・結局、地底人「やみくろ」はなんやったのか?そういった結論はでていない。むしろ主人公が所属する組織云々の話などはそのままで終わっている。
・村上春樹の小説は映画よりも進んいる、かといえば決してそうではないだろう。比較すること自体が間違いかも知れないが。この作品の映画化なんてのは2〜3時間でまとまる話ではない。このストーリーをベースに違った話し(テーマをすり替えたるするような)でいくという手法や、SWの様な三部作にぶち切りそれぞれに起床完結を付ける話にするしかないのでは?映画化しないのは作者が映画化を許可しないのか?だれも作りたがらないのかは不明。
・これは作者の自叙伝なのか?

★★★★★★★★

久しぶりにかなり長いといえる長編小説(上下二巻)を読んだが、確かにこの小説は凄い。前述の通りの芸術作品で、三島作品のように読者を裏切って終わる作品では無かった。よくこんな作品が書けたものだ。しかし、明らかに安倍公房の影響は強いと思う。

俺の読書人生で最初で最後の村上春樹氏の小説である。
最高の小説さえ読めばそれいいのだ・・・

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