2019年10月6日日曜日

悪の読書日記 ドアーズ ジョン・デンズモア(著)

2019年  10月  6日

地獄の季節はまだ続く・・・
「負(マイナス)の気分」でいると、暗黒の世界は勝手に自分のところへやってくるかの如く、偶然「見るだけ」のつもりで入った古本屋で『ドアーズ ジョン・デンズモア(著)』を見つけて即購入に至った。音楽関係の本は余程の事がないかぎり初版しか発行されない。見つけたら「買い」である。たとえ音楽雑誌のバックナンバーであってもである。ドアーズ関係の書籍こそ暗黒の世界への入り口である。
著者のジョン・デンズモアはドアーズのドラマーであった人で、となればおそらくこれが一番真実に近いドアーズのインサイドストーリであると予想する。他にも何冊かドアーズ関係の本が出ているが、ドアーズのメンバーが書いた本はおそらくコレだけだろう。ドアーズは好きなバンドの一つだが、あまり知識も無ければどちらかというと宿命の女というわれる女性、NICOがいつもライブでThe ENDを演奏していることと、遠藤ミチロウが熱狂的なドアーズのファンであったことが、ドアーズが好きな理由になっているも事実である。スマホには全アルバムを落としこんでいるが朝からドアーズを聴くと一日が終わってしまうので朝の通勤でドアーズを聴くことは避けている。
その割にはどうやって、あの四人が揃ったのかなどはあまり知らず。ジム・モリソンの凄まじき行動の過去の話題などが先行している感じがしてならなかった・・・そんな事もあってか、結局古本屋で見つけて迷うこと無くレジへ持って行った。
原題は『Riders on the Storm』である、日本では1991年に発売された本だがタイトルはナンセンスだな。ちなみに仕事でパニックになったら、頭の中で『ハートに火をつけて』が鳴っている。


話はドラマーであるジョン・デンズモアがどうやって音楽を始めたのかから始まるのだが、時代背景もあり厳格なカトリック教徒の母親に育てられたジョンは、幻覚剤LSDなんどやったりして、違った道を歩み始める・・・面白いのは60年代後期にジョンは瞑想教室で瞑想を習ったことが機会となった、これがドアーズに至るのである。LSDの代わりになればなんて気持ちも少しあったようであるが、60年代の後半のヒッピーとかなんちゃらの時代、既に瞑想はこの頃から世界最先端だったのかもしれない。

世のバンドが売れてライブの動員数が増えていくと、ヴォーカリストは精神的に厳しくなるという話を過去に聞いたことがある。何千人、時には数万人の観客の「気」を一人で受け止めているのであるから、精神的も可笑しくなるのも当たり前かもしれない。ドアーズのジム以外の三人は当時の音楽雑誌 (新聞社だったかも)にヴォーカリスト以外はひたすら演奏しているみたいに書かれたらしく、その事実を考えても、日を追う毎に益々熱狂していくファンの「気」を一人で受け止めていたのだろう。ドアーズ=シム・モリソンと思われるのがジムは非常に嫌だったらしく、ジム・モリソン&ドアーズとメディアで言われたら自ら訂正させたりするくらいバンドとしての意識は強かったようで、その反面他のメンバーには殆どそういったことを相談さえしなかったのだと思うが、可笑しくなっていく精神を酒やドラッグなどで紛らわしていたのだろう。
また、バンドが有名になればこれまで友達という関係で始めたバンドだったが、レコード会社や所属のマネージメントの関係で友達関係で無くなっていくのでマネージャーを介しての関係となることもおそらくジムのココロを正常に戻す機会とタイミングが減っていったのだろう・・・と勝手に想像する。

結局はドアーズの解散はジム・モリソンの死で現実的には終わるのだが、それ以前にジムの奇怪な行動とその後始末の対応にメンバーがついていけなくなるのである。そしてパリで休養中のジムが帰らぬ人となり、バンドは事実上解散同然になるのである。
ジョン・デンズモアは本書の冒頭で、もう少しジムとコミニュケーションを取るなりして、何とかする手立てがあればジムは死ななくてすんだんだろうと後悔をしている感じがする、死ぬ三週間前にシムから電話が掛かってきて次のアルバムも作ろうみたいな話をしていたことも書かれている。もし、パリで死ぬことが無ければドアーズは次の作品を作っていたかもしれない・・・・しかし、他の3人は乗り気では無かったのが事実。このときジョン・デンズモアは正直帰って来てほしくなかったみたいだった。

昔々、よくドアーズのジム・モリソンが生きていたら世界の音楽史はいまとは全く変わっていただろう・・・と友人と良く言ってたのだが、果たしてそうだっただろうか?といまこの本を読み終わって感じる。この4人でこそドアーズなのである・・・いくらフロントマンのジム・モリソンが素晴らしい詩人であっても、パフォーマーであっても、それを盛り上げる3人がいないと、ジムは只の酔っぱらいなのだ。ドアーズではない。もし生きていても多分、彼の謎の行動は誰も止められずバンドの分裂は避けられなかっただろう。バンドを解散して、一人のヴォーカリストになって上手くいくのは日本の音楽産業くらいしかありえないんじゃないの?と。それ以前に既に3人は前述の通りジム・モリソンを支える気力が完全に無くなっていた。彼が生きていたとしても、ドアーズは終わっていただろう・・・つまり、もし彼が生きていても音楽史にはあまり影響無かったような気がする。

結局、カリスマのヴォーカリストであるジム・モリソンが死んでしまってこそ、それが伝説的になり、より強く印象付けされてしまったのだろう。ジョン・デンズモアはジムに対してこう言っている、『・・・君の自滅的な生き方が賞賛されているんだ、君のヒーローたるポードレールやランボーに代表される19世紀フランスの廃主義がアメリカに上陸したのだ。 ああ、わが屍のなんと美しいことか。 僕にはいただけない。絶対に・・・』(本書より抜粋、訳:飛田野裕子氏)と。

週末はドアーズ記念日の如く、ドアーズを聴きながらこの本を読んだ。読んだあと、これまで聴いていた音とは別の音を感じるようになった。ドラム・・・太鼓の音、ギターの音、ジムの声、オルガンのソロ。やはり、ドアーズはこの4人でこそドアーズなんだろう。一人でも欠けるとそれは違うバンドなんだと、つくづく感じた。

地獄の季節はまだ続くのである・・・

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