2019年10月31日木曜日

悪の読書日記 頭の中がカユいんだ  中島らも(著)

2019年 10月 31日

小生の二十歳そこそこまでを形成していた細胞は間違いなく上岡龍太郎氏、笑福亭鶴光氏、そして今は亡き遠藤ミチロウ=スターリンと、中島らもだった。
先日、落語会/読書会の帰り、笑福亭智丸さんと電車のなかでふとした事から、中島らもの話になった(ちなみに智丸さんは、らもさんの大学の後輩にあたる)。智丸さんは中島らもの『頭の中がカユいんだ 』が好きらしい。遥か〜昔、『頭の中がカユいんだ 』は読んだと記憶するのだが、らもさんの本は殆ど手放してしまった記憶があり、一部の本は今になって買い直したりしている。『頭の中がカユいんだ 』どんな内容だったかは全く覚えていないに等しい。文庫化されて現在は外国人女性の表紙は知っているくらいのレベルである。



それは高校二年か三年の頃であった、当時関西ではFM大阪で『中島らもの月光通信』という番組が放送されていた。無茶苦茶なラジオドラマちっくな爆笑コントとその間にパンク系の音楽、そしてスタックオリエンテーション(現在のスマッシュ・ウエスト)の南部氏と、とんでもないゲストのコーナーなどと・・・今考えたら無茶苦茶な内容だった。途中でアル中で病院に入院させられた中島らもに替わって、漫画家ひさうちみちおさんが何週かに渡り司会をしている時があったが、そんな時のとんでもないゲストが戸川純(ヤプーズ)だった。
この放送を熱狂的に聴いていた、当時はテレビよりラジオの方が面白かった。上岡龍太郎氏は晩年テレビ(関東圏)に良く出ていたが、天才上岡龍太郎の本当の面白さはラジオであったと思う。上岡氏が当時ラジオで語った内容は今でも小生の生きる指針となっている(民主主義とは何か?、三島由紀夫と石原慎太郎の違い、プロ野球とは?…など)。
そしてまた、当時読み漁った中島らものエッセイなども今の自分の生きる指針となているのも事実である。

『頭の中がカユいんだ 』のオリジナル版はどんなんだったのか?ネットのオークションやメルカリで検索してからやっと思い出した。当時、大阪書籍から発行されていたのである。東京方面の方は解らないかも知れないが、大阪書籍という出版社は教科書を発行している出版社なのである。その出版社が結果的にはジャンキーの書いた本を出版していたのであるという有害図書から教科書までのなんでも来いの出版社である。
既にオリジナル版は高価な値段がついて買う気はしないが、表紙を見て思い出した・・・・そうだ、こんな表紙だった。当時ラジオ番組でよく、大阪書籍が教科書の出版社のくせに、なんでか中島らもの本を出版したと話題になっていた。
当時は多分深く考えて居なかったのだが、この『頭の中がカユいんだ 』は中島らもの身の回りでの事実をベースに書いた本だということである。

ヤフオクから拝借


とりあえず再読したくなった小生は文庫版の『頭の中がカユいんだ 』を購入して、おそらく30年ぶりに読み返した。すると過去の記憶が断片的に蘇る。山口富士夫さんのエピソード、朝日新聞の社員の名刺を持っていたらタクシーに現金を持っていなくても乗れる話。天王寺野外音楽堂で小生が音楽を始めるきっかけとなったリザードを観にいったという話、印刷屋を退職するとき一緒に退職する先輩と勝手に好きな名刺を作って印刷して退職したという話、ダイビングしていて海上に浮上したら陸地が見えなかったこと・・・・など。
どうやらそれらの僕の記憶の断片の原本はこの本の内容だったらしい。
十年くらい前から、中島らもさんの奥さんや、鮫肌文殊が書いたらもさんについての思い出の本を読んでいたので、色々な話や中島らもという人間が本の内容と結びつき、30年前に読んだ時とは全く違う感覚に陥っているのだと自覚する。前述したが、これは事実をベースに書いた本なのだ、多分最初に読んだときは適当な事を言って、本当はつくり話で実話を大きく盛ったのだろうなんて思っていたに違いない。しかし、違っていた。
前述のらも夫人や鮫肌文殊の本などから考えても、この『頭の中がカユいんだ 』が事実であり、たいして脚色していないし、話を大きく変えてもいない。その後の中島らもさんのエッセイなどから想像しても『頭の中がカユいんだ 』は明らかに実話である。

当時、中島らもさんはこの本を数日で書き上げたらしい・・・
今となってはどういう意図でこの本が教科書の大阪書籍から出版されるに至ったのかなどはよくわからない。らもさんもどういう事でこの本を書き始めたのだろう?広告屋なのにどうしてFM大阪でラジオ番組をやっていたのだろう?その頃はまだ「中島らも事務所」じゃなかったし・・・
この時、売れっ子作家になる自分を想像していたのだろうか? そして作家を辞めて本当にやりたかった音楽をやる事も想像していたのだろうか?
鬱病になること、逮捕されること・・・・想像していただろうか?
(「なげやり倶楽部」というテレビのバラエティ番組の司会もしていて、レギュラー出演者がダウンタウンで電柱の被り物で出演していた。)

全く関係ないが先日、クリエイターの高城剛のメールマガジンのQ&Aのコーナーで高城氏がこんな回答をしていた・・・
【 Q 】・・・高城さんが私のような境遇であれば、何を生活の糧とし生計をたてて生きていくか、お考えいただけますと幸いです。
【 A 】彼女は、やっと地方に派遣の仕事を見つけましたが、母親が若くして急死。恋人とも別れ、結局仕事もクビ。
次に付き合った男性の子供を宿しますが、流産してしまいます。
そんな中、カフェでひたすら自分と向き合い、一冊の本を書きました。
タイトルは、「ハリーポッター」。その彼女の名は、J・K(ジョアン)ローリング。
のちに年収数百億円を生み出す小説は、ボロボロのノートに書き留められた短いメモからはじまります。
貴君が、いかなる境遇なのか、深く知るところではありませんが、僕なら、本を書きます。
いきなり書くことなんてできなくとも、日々少しづつ。
そっと未来の重い扉を開くように。
(高城未来研究所「Future Report」Vol.434より抜粋)

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残念だが、らもさんの扉は既に開くことは無いが、10代の終わりに感じた事はいまでも、これからもその感覚や感情は消えることは無いだろう。
次は僕の重い扉をゆっくりと開きたい。
そこに何が居るのかはわからないど・・・・。

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