2019年10月27日日曜日

悪の読書日記 嫌だと言っても愛してやるさ 遠藤ミチロウ(著)

2019年 10月 27日

今回は本当に悪である。
遠藤ミチロウの書籍が文庫本で発売されるのは、なにか変な感じがしないでもない。過去に何度も内容を追加し表紙を変更して出版され続けていたエッセイ『嫌だと言っても愛してやるさ』が文庫版になり、内容もさらに追加され、表紙も全盛期のスターリンのライブ写真、石垣章氏の撮影した写真である。あとがきは『爆裂都市』の映画監督の石井相互である!!
どうして今までこの本『嫌だと言っても愛してやるさ』を買わなかったのだろう?と今になって考える。正直、80年代の遠藤ミチロウ(スターリン)が好きなので、フォークギター1本でうたを唄う遠藤ミチロウにはあまり興味が無かったのだ。実は音楽に歌詞は必要なのか?コトバは必要なのか?と90年代後半から考えるようになって、音楽というものは音と音がぶつかりあって凌ぎを削って音を出すのが音楽ではないのか?と考えている時期があり、簡単に言えばフリージャズとか即興演奏のバンド活動をしていた為に遠藤ミチロウのギター一本で唄う活動には興味が無かった・・・・。



スターリンの殆どのアルバムに出てくる歌詞に日本語と英語が混じった歌詞は少ない・・・・。『MONEY』の「I LOVE MONEY・・・」程度くらいで、
「STOP JAP」なんて日本語(和製英語)であり、殆どの歌が日本語と和製英語(カタカナ英語)で固めた歌詞と言っていいだろう。ミチロウは常に日本語のロックに拘っていた、ビートルズの「HELP!」をソロシングル三部作で収録した時も本当は日本語の歌詞に超訳したが許可がおりず、へんちくりんな曲になってなんだか変なカバーソングになってしまったこともあった。日本語の歌詞の方が聴いている人にダイレクトに伝わる・・・と本書で言っているとおり、同感である。英語で言ったほうが伝わるという事もあるだろうし、英語で歌った(言った)方がカッコいいという意見もあると思うのだが、ある意味それは作者(作詞者)の我がままで、スキル不足なのかしれない。おそらく歌詞の中で日本語と英語が混じっているうたなんて歌っているのは日本の歌くらいじゃないんだろうか?
詩にせよ文学にせよ、外国人のコトバを日本語に訳して伝えた場合、その時点で作者のコトバでなく訳者と作者のコトバになっているのである。洋楽レコードやCDを買った歳に封入されている日本語訳歌詞カードを読んでもピンとこないのは、訳した人そのものの人格による部分がミュージシャンとの人格の不一致が多すぎるのだ。
だから、ミチロウは日本語のコトバに拘ったのだろう。スターリン、遠藤ミチロウの歌詞は遠藤ミチロウの歌詞がそのままなのである。
だからミチロウの歌詞は好きなのだ、いまさらやけど・・・。

本書には記載されていないが83年に無茶苦茶売れたスターリンのセカンドアルバム「STOP JAP...」というのがある。このアルバムはメジャーから発売するときにレコ倫から歌詞にクレームがついた為に、レコーディングをやり直した(ヴォーカルパートだけでなく演奏も含めて)経緯がある。
その一件に関するミチロウの苦言「レコ倫」というエッセイも収録されている。当初発売予定だったお蔵入りの音源は十年ほど前に「STOP JAP...naked」っていうタイトルで発売されたが、前述の『MONEY』は「I LOVE MONEY・・・」という歌詞でないのが実に興味深く。本書のミチロウの苦言と「STOP JAP...naked」が繋がり、歌いたく歌った歌詞でないことが証明される。本書に収録されている吉本隆明との対談でも少しだけ『MONEY』について触れられているが、今となっては吉本隆明が聴いた『MONEY』は変更をレコ倫によって修正された曲であったのだと思うとなんだか複雑な感じがする。

小生が音楽を真剣に聴くきっかけは、スターリンのドアルバム「STOP JAP...」からシングルカットされた曲『アレルギー』である。1分にも満たない曲、こんな音楽がこの世にあっていいのだろうか?という疑問から始まった小生の音楽生活、それは17歳くらいの時だろうか・・・・既に小生も50歳であるが、遠藤ミチロウがスターリンで1983年で32歳というから、ミュージシャンとしては若くない、32歳の時は俺は何してたっけ?ミチロウは50歳の時は何をしていたのだろう?と、巻末の『遠藤ミチロウ バイオグラフィー』を読みながら色々考える。
68歳でこの世を去った遠藤ミチロウである。30年くらい前はよく、ミチロウはパンクを利用して有名になった奴(本にもそう言ってたらしい)とか、パンツを脱いで有名になった奴とか、有名になる為にパンツを脱いだ。性格がエゴイストだとか・・・・よく雑誌やなんかで書かれていた(当時はやっぱりみんな若かったので、好きなこと言ってたんだと思う、事実かもしれないけど)。結果論から言えばそうであるが、本人にとってはパンクとかロックとかという概念は無く、彼の活動が「自分が社会をどう変えれるのか」という遠藤ミチロウの実験世界では無かったのではなかったのか?と思う。ライブでゴミをバラまいたり、ソノシートを配布したライブとか・・・全てが彼のメディア戦略の実験場だったのである。本人が本当にやりたかった音楽はアコースティックギター一本で歌いたかったと聞いたことがある。晩年はおそらく本当にやりたい音楽が出来たのだろうと思う。その為には自分自身を世間に知ってもらわなければいけない、遠藤ミチロウというブランドがの知名度が低ければ客も入らないしCDも売れない。そう考えるとスターリンでの活動は結果としては晩年の活動を支える為の土台、ベースとなったのだと思う。つまり結果的にパンクを利用したといえば笑えるが、今日現在「パンクロック」も「ロック」とかいう概念なんてちょっと時代遅れだ、革新的な部分が全くない、焼き回し文化でしかない。それよりもパンクでもロックなんてどうでもいいと考える男、遠藤ミチロウの日本の音楽文化への影響というのは非常に大きかったのである。

最近の若い方は知らいないと思うが、30年前に音楽のビデオソフトは高額で(当時)1本5000〜8000円とかが普通であったのだが、「これからのメディアはビデオ」だとか遠藤ミチロウ氏が言い出して結成したのが「ビデオ・スターリン」だった。当時発売したビデオソフトが2800円で、実はこれ以降、世の中のビデオソフトの値段が大幅に下がったのである。残念ながら発売したビデオは3本だけでビデオスターリンは解散してしまうのだが。

まさに我々は遠藤ミチロウの実験に付き合って楽しんでいたのである。

★★★★★★

中島らもさんのエッセイで遠藤ミチロウが出てきたことがある。桃山大学かどこかの学園祭で楽屋が一緒だったらしく、ふとミチロウ氏を見ると出演前らしく自分の顔に化粧をしていたらしい。らもさんが若木さんに「あの化粧どうなん?」と聞いたらそうだが、若木さんは一言「へた」と言ったそうである。

らもさんもミチロウさんも、この世にはおらず、
コトバだけがこれからも生き続ける。

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