2020年2月2日日曜日

悪の読書日記 日本人に「宗教」は要らない ネルケ無方(著)

2020年 2月 1日
新渡戸稲造が『武士道』を書いたきっかけの一つが、知り合いの外国人牧師から日本の学校で宗教の時間がない?それじゃあ道徳の時間や人間形成の勉強はどうしているのだ?と言われたのが一つの起因らしい。
この時『日本には既に仏教が生活の中に入り込んでいます。』と新渡戸稲造は答えなかったようだ。皮肉にも『武士道』の「武士道とは死ぬことなり」という言葉だけがその後の戦争で政府に悪用されたのは、新渡戸稲造の意志とは真逆であるのは悪徳極まりない。

兵庫県にあるとあるお寺の住職をされている著者ネルケ無方氏の2014年の書籍だが、古い内容でなく今でも時代を感じさせること無く書かれている本であり、氏の本はあまり読んでもいないのだが著者が仏教を学び始めたきっかけなどが本社には興味深く書かれている。
悩んだ無方氏がハイデッカーやニーチェを読んだが答えは出ず、仏教、禅を学ぶことで答えが見つかり前に進めたと。ハイデッカーってドイツ人が読んでも難解なのかと、しかもドイツ語で書かれ原書であってっもか。こりゃハイデッカーなんて日本人が読んでもなかなか理解できないわな。


小生は日本に生きて五十年。正確には日本で生まれて生きて五十年と少し、生まれた家には信心深い祖母が毎日仏壇と神棚に手を合わせていた。これが普通だと思っていた。しかし、今考えると家には仏教と神道が同居していたのである。
高校時代のある日、リビングのテレビでストーリートスライダーズの『レイダウン シティ』のライブ映像を観ていると部屋にいた祖母が、この人言ってること解ってるんかいなというではないか‥蘭丸がブラウン管の中で唄っている。この時、小生は祖母が毎日仏壇や神棚で唱えているお経の意味を祖母は理解せず唱えているだけだ、ただありがたい言葉というだけで毎日コトバを唱えているだけだろう。ちなみに祖母は新聞やメディアの媒体で活字で書かれている事はすべてが正論と思い込む傾向があったと思う。ストリートスライダーズの歌詞とお経はさほど日本人の宗教感から考えれば変わらないんでは?とこの時考えた。

極端すぎる外国人を集めたバラエティー番組『ここが変だよ日本人』では無いが、『ここが変だよ日本の仏教』と考えると『もっと変だよ欧米人のキリスト教』である。インドで発祥した仏教が中国を経て日本に渡ってきたのは西暦538年、すでに1400年以上がたち国教では無いがはっきり言って日本で生活している日本人の生活に溶け込んでいるのは事実だろう。だがそれを再度認識する必要も無いことから自分は『無宗教』だと思っている。外国人から見れば、それ仏教的行動ですよ!となるわけだ。
この本に書かれていないことでもキリスト教徒の極端すぎる考えはオウム真理教の新興宗教と寸分変わり無いし、とにかく他の宗教は認めないといって他の宗教の寺院や仏像を破壊する行為を非難する権利はアメリカ人をはじめキリスト教徒には無いはずだ。
逆に何でも受け入れて『みんなでやったらええやんか』と和を大事にし過ぎる我々も本当に良いのかどうかである。我々がコントロールできない天災は誰に文句を言っても意味はないが、原発事故等はやはり「事故」であり、想定されていて事故前に指摘されていたことを軽視していた政府に非があるのが当然ではないか。その点もっと主張すべきだろう。和をもってではない!
何でもかんでも入ってこいとばかりに戦国時代に織田信長はキリスト教を受け入れたのは良かったが、キリスト教徒が好き放題しはじめ寺院の破壊や日本人を奴隷として売り買いするポルトガル人が現れたこともあり秀吉はキリスト教を禁止にしたが、当時の日本人が西洋思想に走るのでは無く、日本にやって来たキリスト教徒が日本人的になればもっと違った形の日本文化ができていただろうというネルケ氏の指摘は実に面白い。ここが日本人が好きな『みんなでやったらええやんか』的な揉めることが好きでないところがキリスト教徒にあるかないかである。自分達が学んだキリスト教をそのまま日本に持ち込んだのである。そりゃあかんわな。

ネルケ氏は定年リタイアしてから仏教を学ぼうとするのでは無く、今からでも始めることを奨めている。それは写経することでも無く、何か一心にやってみることだと。
仏教が哲学に似ているのか、哲学が仏教に似ているのか?
どちらが先か後かはどうでも良いことであり


今を生きて、今日も一瞬を大切に生きていきたいと思う。






#ネルケ無方

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