2020年2月29日土曜日

悪の読書日記 じゃりんこチエ(1) はるき悦巳 (著)

2020年  2月  29日

笑いとは免疫力を上げる方法の一つで、笑うことで免疫力があがるだそうだ。今自宅で出来る新型コロナウィルス対策は笑うことであると言える。
関西で生まれて暮らして五十年ちょっと。織田信長が部下に謀反を起こされて殺されている歳を越えている。
「笑い」一つを考えても奥が深いのは当たり前だが、普段お笑いといえばテレビで観るのが殆どで劇場までお笑い芸人を見に行く事はなくお笑い芸人を見に行かないが色々な場所へ落語は聴きに行く。漫才師と落語家の決定的な違いは後者は伝統芸能(芸術でなく)であり、プロになるにはそれなりの時間が必要で漫才師やお笑いタレントや声優の様な養成学校などは存在しない。落語の深さが解ってきたのはここ数年のことである・・・



昔々、上岡龍太郎氏がテレビで大阪の笑いと一言で言ってもキタ(梅田)とミナミ(難波)の笑いは異なるものであると言っていた。あっ、ほんまや!とその時はたと気がついた。そうである、もっと言えばキタの笑いとミナミの笑いと新世界(動物園前〜通天閣周辺)の笑いはまったく異なるといえる。一概には言えないが北へ行くほど上品かもしれない。そして南へ行くほど下品かもしれない・・・。特に落語ではなく漫才など、「古典漫才」なんて存在しない世界は地域性がハッキリとするのではないだろうか?しかし、現在は吉本興行、松竹芸能の劇場はキタ(梅田)にはない。また現在は海外からの観光客が大阪の街で大量の買い物をしていたりと、昔々の笑いの感覚というかセンスが相当異なると言える。先月新世界へ何十年ぶりに行ったが古いものと新しいものが同居した「串かつ」の街、串かつパラダイスになっていた。でも下品さはまだ変わらず、まだまだ残っていると感じた。
それが少し嬉しかった。
そんな下品ともいえる地域を舞台にした漫画『じゃりン子チエ』を何十年か振りに復刻版(文庫サイズ版)を購入してみて久しぶりにじゃりン子チエで昔の動物園前位周辺へタイムスリップした・・・・。最初にこのアニメを知ったのは劇場版じゃりン子チエ。小学校の五年生か六年生の時であった。祖母とミナミの映画館へ観に行ったのである。劇場版のじゃりン子チエはTV版とは異なり声優が主要人物(チエ、テツ、ミツルなど)以外の登場人物含めて関西のお笑い芸人が声を演じている。花井先生(父)は笑福亭仁鶴氏だったり、マサルは島田紳助氏だったりと漫才師、落語家とかなりの芸人さんが声を演じている。劇場版を観た後日、単行本のじゃりン子チエを数冊買って何度も読んだのだが当時はまだ漫画アクションに連載が継続していたが、漫画週刊誌はこれまでの人生で毎週買って読んだという記憶も習慣もなし。そして劇場版公開数カ月跡にTV版のじゃりン子チエが土曜日の夕方から放映されるのである・・・80年代初頭の事である。

久しぶりに読んだじゃりン子チエにて80年代初頭にタイムスリップしたつもりだったが、実は最初の漫画アクション掲載は1978年だったらしいと最近わかった。元々連載でなく単発でアクションに掲載されていたが後日連載になったそうである。しかし、連載は1997年まで続いたそうである。なんと19年間も・・・。
舞台は大阪、動物園前周辺〜新世界周辺なのだが、この漫画の面白さは大阪の笑いなのだろうか?とこの歳で何十年かぶりに読んでいてふと思った。登場人物、舞台の地域、食文化だけが西成区で動物園前周辺。しかし、もしこれが東京下町の実際に存在する地域へ設定を変えても成り立つのでは?と考えた。この本、この漫画が面白いのは大阪在住の人間からしてみれば漫画のストーリーの面白さプラス知っている街と食文化と大阪弁・・・というだけで、大阪(関西)以外の人はなぜこの漫画を読む(買う)のだろう?いや、実際は関西人しか読んでいないのか?
それだったら「漫画アクション」で連載されないハズだ。





特に大阪人や関西人にしか解らない話は殆ど無いといえる。マニアックなストーリーは殆ど無いと思う。ストーリーは大阪らしいと言われたら、大阪らしいとは何なのか?大阪のどこを指しているのか?

だがこの漫画から地域性をマイナスすると殆どつまらない漫画になる。かと言って大阪ー!!ってノリの話ではない。サザエさんの様に存在しない街のとある家族のほのぼのとした生活にショートカット(四コマ漫画)のギャグ的要素を細かくブチ込んだ脚本家の腕が強く影響したアニメ「サザエさん」とは全く異なる。
大阪の新世界や動物園近辺へいけば、主人公の父親「テツ」の様な人間が実際にいるような気がするし、70年代後半から80年代前半には実際に居たと思う、いや実際に居たと。そして昼間からなにをしているのか解らない人たちが実際にいた。そういった人たちが実際に漫画やアニメの中に登場していた。それは実際にこの地域へ行かないと解らないことであるが、大阪や関西の人はじゃりン子チエのアニメや漫画で出てくる地域が実際に存在する場所であり、登場してくる人々が実際に居そうで本当に居るひとのほのぼのとした漫画として楽しんでいたのだろう。それ以外の関西圏外の人は通天閣は存在は知っていたが、本当にあの変わった地域が存在すると思っていない人もいたのだろうが、ほのぼのとして二足歩行の猫はいないけどひょっとしてこんなけったいな人が大阪にいたら面白いやろうなあと思って居たのだろう。

その実際に居た人の大阪の笑いのセンスが動物園前~新世界周辺の笑いの文化でミナミやキタとは少し異なる大阪の笑の文化だと思う。二ヶ月くらい前に久しぶりに通天閣周辺に行ったが、いくら大量の外国人があの地域にやってきても、串カツ屋のパラダイスになってもそれはまだ変わっていない気がした。
この街へ来るとまだミナミの様に変わり果てた世界でなくどこかじゃりんこチエの時代がまだ残っている感じがする。

そして僕はじゃりんこチエの続きを読み始めるのだ。

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