2020年3月8日日曜日

悪の読書日記 もういちど読む 山川倫理 小寺聡(編)

2020年 3月 7日

あの佐藤優氏が推奨する『もうしちど読む 山川倫理』を読んでみた。
高校の時、理系コースだったので倫理は勉強していないと思うのだが、高校の時にこの本の内容を学んでも多分、全く記憶に無かったであろうと思うし、やはりこれを高校生が読むなら例えば、読むという勉強よりも映画やなんかを観て考える方がいいと思うのだが、自分の高校時代を振り返ると、『考える』という時間はあまり無かったのかもしれず、考えた事で記憶にあるのは・・・「パンクロックで世界平和が実現できるか?」程度で。いまもこの結論は導き出せていない。映画みてレポート書いてこいと教師に言われて、まともに書いて提出しただろうか?



しかし、どこかの高校で教材として『未来世紀ブラジル』が使われていることを聞いたことがある。
もし、高校の倫理の授業で使うとすれば『ハンナ・アーレント』がお薦めだと・・・あとフィクションからノンフィクションになった『1984』とかも。
ここまで書いたが、今だから「ハンナ・アーレント」について書けるので、高校生の時の頭でこれを観てどう小生は感じる事ができたのか疑問でかつ怪しい。


さて、「もういちど読む山川倫理」だが内容的には「もう一度」では無い事は前述の通りで「はじめて」が殆どである。
しかし、色々な哲学の本でも必ずと言っていい出てくる「デカルト」については、どの本を読んでも面白い。
「いったい俺は誰なのか」「俺の存在は何なのか?」それは本書でも同様、
そして『世界十五大哲学』(ちくま文庫)の「Ⅴ.デカルトの哲学」の章を読みなおす。
やっぱりこのデカルトという人はおかしいというくらい面白い。
「すべてのものを疑うべし」

***

最後に明治、大正時代に、与謝野晶子が1904年に日露戦争へ批判的な作品を作り『明星』が発禁処分を受けたエピソードも載っている。歴史の時間で本来重視しなければいけないのが、江戸幕府末期以降の明治時代〜大正〜昭和初期の1945年前後のあたりなのだが、多分、倫理の勉強をするのであればこの部分の歴史の時間を2in1のワンセットで学ぶ方が良いのだろうと思う。以前、ラモーンズを心から愛する友人が、この時期の歴史の時間は一年間掛けてやったほうがいいのでは?と言ってたがまさしくではないかと過去の記憶が繋が・・・「やりなおし山川倫理」を読んで思った。

我々はもっと考えなくてはいけないのでは?決して答えがでないとしても。
常識ということは怪しい、いまは正解だが、過去と未来で今の「常識」はどう判断されて今後どう判断されるのか?だから今、ひたすら考えるしかないのだろう。

この本を読んで教養は身に付かないし、「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」を読んでも教養は身に付くことはありえないが、明らかに安倍晋三夫妻よりは賢くなれると想う。

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