2019年3月24日日曜日

悪の読書日記 今日を死ぬことで、明日を生きる ネルケ無方(著)

2019年 3月 24日

先日、みうらじゅん氏が死んだあとの事は解らん、おれが今まで集めたブツがどうなろうと、業者に安く買い叩かれようが死んでしもたら解らんから死ぬ前に集めたブツを整理するなんてもってのほか・・・という意味の事を言っていた。なるほど!流石みうらさん、仏像とチャールズ・ブロンソンとボブ・ディランを愛する人の言うことは的を得ている。
という事でみうら氏は集めた一部を写真にとって本として出版された。立ち読みしたら収集しているブツとんでもないものばかりだった・・・・

(今は亡き、アリ・アップが参加したアルバムを聴きながら…)


兵庫県に住みながら、かなり離れた兵庫県の日本海側に安泰寺というお寺があり、そこの住職さんがドイツ出身の方であると知ったのは一週間前。Youtubeで本を探していたら、たまたま住職のネルケ無方氏が探していた本についてコメントしていた、この方だれだろう?と調べたら同じ県に住む方であった。兵庫県は広い・・・・

悩める日常、ネルケ無方氏曰くマインドフルネスというのは、昔々から日本に定着していたものだが、今頃になってアメリカから「マインドフルネス」という名前で入ってきて評価されているが、昔から子供が学校へ行く時母親が「いってらっしゃい、気をつけて・・・」、「玄関の靴は揃えなさい」という・・・それがマインドフルネスそのものであると。アメリカやドイツに履物を揃えるという習慣も世界もない。ヨガの先生が以前、ポーズがうまく出来たのがヨガではなく中身が無ければ全く意味がないと言ってた事を思い出す。あれれれれ・・・・

目から鱗でなく、頭蓋骨から眼球が転げ落ちたくらいの話しである。

早速「今日を死ぬことで、明日を生きる」を購入して読む。
最大のポイントは一つである、『今を生きる事!』それだけである。

今日は二度と戻ってこない、昨日の自分は既に死んでいるのである。生きることは一瞬の連続。
釈尊は死後の世界を語らず今生きることだけを語ったそうです。死後の世界なんて語ってもきりがありません。そもそもどうなるかなんて誰も解らない、まるでどこかの哲学者みたいである。死後の世界云々って結局何だろう?仏教徒には本当は関係ない?というか、そんなこと考えるよりも今に集中すべきなのだろう。
先日、二日ほど前にとある方が、未来への不安、過去の不満にくよくよしなくなる方法は『今』に集中する事であると言ってたので頭のなかで繋がった。さらに今に集中するトレーニングとして「瞑想」が最適であると。ネルケ氏も瞑想、何もしない時間を持つことをこの本で推奨されている。
まさしく偶然は必然・・・今を生きるしかないのだと実感した一瞬であり、フィルムの1コマである。

余談にはなるが、ネルケ氏によると詩人ゲーテの言葉は美しいが、ハイデガーはそうでなくニーチェは美しいそうです。自分の書くスタイルを意識して言葉を磨いているそうです。多くの哲学者は意味だけ伝えたいのか、あまり言葉に気を使わないみたいですが、ニーチェだけは違うようです。この点はやはりドイツ人にしか解らないのだと思います。この点、流石に哲学をストレートに理解出来るのはドイツ人だと佐藤優氏が言ってることがなるほどと理解できた感じがします。

悩み多い日々、哲学、マインドフルネス・・・・今を生きようと、今日も生き急ぎながら死に急ぐ。

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