2019年3月27日水曜日

悪の読書日記 ハイデガー=存在神秘の哲学 古東 哲明(著)

2019年 3月 27日 完全なメモ

人は死を意識して生きると、時間を大切にするようになり幸福度が上がるらしい。時間を大切にすることは、その人の幸福度を上げる作用があるそうである。家族よりも友達よりも、時間を大切にする事が回りの人を大切にする事に繋がっていくのである。よく考えたら当たり前である・・・。



ハイデガーの本を読むにはそれなりの態度と根性(モチベーション)で望まなければいけない。そんな態度も根性も今はなく、そもそもこのブログを始めたきっかけは精神的不安定からの脱却になればと日常を記録しておきたいからであるのに、ハイデガーの『存在と時間』などいきなり読んでブログに纏めることなんど出来る事は不可能である。数年前に偶然購入したハイデガーの哲学について纏められた古東 哲明氏の『ハイデガー=存在神秘の哲学』を前回は何時ものように途中で挫折した為、再度読み直してみた。
結果的に読み終えるに至ったが、難しすぎるのか、精神的不健康だからか、小生の頭が着いてこないのか、理解出来ない部分が大半であった。著者の古東氏は出来るだけ解りやすいように、コトバを丁寧に選んで文章を書いているのが伝わってくる内容であるのは読み出せば直ぐに理解できるにも関わらず難しいのである。ハイデカーの残したコトバを選んでその説明も多岐に渡って載せられているにも関わらずである。
面白く興味深かったのは『世界劇場』。映画マトリックスかよ??と、幼少の頃にテレビとは別の世界をこちらから覗き見できる道具なのかとテレビドラマを見て思っていたこともあり、色々な事を思い浮かべながら読むことができた。
ただ、本というのは書いたこと全てを理解するなんて著者でさえありえない事で数カ所自分が理解できたり、発見出来たりしたらそれでいいのであると常に考える。
もし、この古東氏の書いている内容が殆ど理解できれば、そもそもこの本を読む必要はないのである。世の中に出回っている本の殆どが読んで納得して、あ~良かったというものである。読んで、読んで考え尽くさなければならないのは学生の勉強の問題集、哲学書か仏教の本か禅のなどである。

つまり、哲学について書かれた本なので、誰でもふ~ん、なるほど!!! なんて本は哲学の解説書である。これは解説書ではないのだ。
ハイデガーは、自身の本では書くだけ書いて、あとは読んだ人が考えるのだみたいな問題定義の投げつけスタイルみたいな考えで書いていたそうであるが。古東氏はそんな様にこの本を書いたのでなく、ただ単に自分が理解できないだけのことを勝手にそう考えて読んでいるだけなのだが・・・。
但し、有名な『存在と時間』は未完成なのである。そんなもん売ってもええんか??状態である。

人生100年なんて政府の糞コピーに騙されそうな時代。こんな時代を五十年近く生きてきて、只今迷宮の奥底へ墜ちていく日々、もはやどうすれば良いのか迷宮の奥底で頭を抱えているのが現実だ。時間とは映画のフィルムの様に一瞬、一瞬、一瞬の組合せだそうである。そして死を前提に生きているのであると。このままこの一瞬でありフィルムの1コマを俺は増やして行くことが出来るのだろうか?
決してハイデガーを読んで理解できたとしても救われる事は無いかもしれない、どうやって時間というものを考えて行けば良いのかを真面目に考えるきっかけにしかならないかも知れない。しかし、このハイデガーは簡単と思えるが実は簡単でない事を深く深く掘り下げて考えぬいているような気がしてならない。存在?時間?考える必要があるんか?っていう人も少なくはないと思う。それをあえて考えぬくのはよほど性格が悪いのだろう。
正直、このハイデカーという人が良く解らない。永遠に解らないのかもしれないが、もう少しこの「ハイデガー=存在神秘の哲学」と一緒に付き合ってみたい。そうすれば、なにかどうでもいいことかもしれないが、今以上に時間を大切に行きていける事が出来るのではないだろうか。心理学でも自己啓発でもないいままで知らなかった時間の考え方に。

きっとあるハズである。俺はそこへ行きたいのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿