2019年3月3日日曜日

悪の毒書日記 GO NOW Richard hell(著) 滝沢 千陽(訳)

2019年 3月 3日

ひな祭りである・・・こんな日にこんな本、小説である。『GO NOW』 、ニューヨークのパンク・・・本物のパンク、Richard  Hellの自叙伝的なフィクション小説である。ふとしたことで、SNSで知り合いのデザイナーさんが、インスタグラムでRichard  HellのTシャツを着ていたのがきっかけである。「Richard  Hellですやん」とコメントを入れたら、「そうですよ! 東ちづるもすきなRichard  Hellです」という返事がかえってきた、これにはぶったまげた。まず第一に因島で「Richard  Hell」をどうやって知るのか?昔々は大阪ローカルのバラエティ番組に出まくっていた東ちづるが何故パンクのRichard  Hellが好きなのか?
そんな事を考えるより、昔々挫折した「R.I.P.」という、ROIRから発売されたレアテイクを集めたのアルバムを再度買って聴いてみることに。よく小生はSNSにて、昔は聴けなかったけど、いまなら素直に聴けることがあるなどと述べているが、まさしてもこのRichard  Hellはそうであった。


前述の「R.I.P.」というアルバムは、二枚組になって『TIME』というアルバムで販売されている(既に廃盤)。ふと、これを買い求めそして、Richard  Hellは何をしているのだ?とアマゾンで検索すると『GO NOW』という小説を書いているではないか。しかもかなり以前に日本語になって発売されている。アマゾンのレビューによると自叙伝的小説でロード小説みたいなと・・・・
というわけで、早速購入して読んでみた。


ロード小説というと、ケルアックの『路上』を思い出す。この小説にはバロウズやギンズバーグが出てくるのだが、やはりこのての小説は『ドラッグ』というキーワードが重要なのだろうか?と感じるが、それは勝手な解釈、固定概念じゃないの?と言われそうだが、事実なのである。アメリカの西から東を車で走り抜けて、そこに「悪」のエピソードや材料が無ければ何があるのだ?!!
しかし、はっきり言って犯罪であり、カラダにも周囲の人々にも良くないのは事実である。

ここでこんな一節が小説にある
『ヘロインに溺れるのは一種の通過儀式だと俺は考えていた。砂漠て過ごすとか戦争に行くと言った類の経験さ。で、俺が何を学んだかって?
自分がしたことはすべて自分に返ってくる、誰も責められないということだ。俺は自分を擁護するためにこの世を罵ることなどしない。』
主人公ビリーのコトバだが、明らかにRichard  Hellのコトバである。
結局はそれを選択した自分自身に不合理な責任はある、世間にあーだこうだ言うのはちょっと違う。それを解ってドラッグをやっていたと。

ストリーは架空の「旅」の話で、セックスとドラッグの話に尽きるのだが、時折マルキ・ド・サドの小説の如く、主人公の発言が著者の発言を代弁していて、前述のようなコトバや、ジャンキーのくせに詩人ボードレールや翻訳について語り、それだけでなく古書や活字にまで語るのである。元々Richard  Hellは詩人になることを夢みてニューヨークにやってきた人なので、それを知っている人から見ればある程度納得の話だが、全くしらない人が読むと多少戸惑うのでは無いだろうか?
しかし、このギャップがRichard  Hellの魅力なのである。ジャンキーのくせに詩人で古書を集め、貪りつくように本を読む。

この小説は自分からみると、ケルアック+マルキ・ド・サドにヘルのテイストを混ぜあわせた小説ってな感じがする。そして最後、マルキ・ド・サドの小説に近いような展開で話は終息へ一気に向かっていくのである。こんな展開なのか?と思ってしまう、架空の小説でよかった、これが本当に自叙伝だったらえらい事である。

ドラックに溺れる著者、実際には溺れていた著者であるが、
『要するに俺はヘロインで暇つぶしをするという贅沢に人生を費やしてきただけなんだ。そういう「健全な恐怖心」を排除するのがヘロインの力だ。なんだか裏切られたような気がした。ヘロインはフィルム・ノワールに登場する宿命の女のように運命を狂わせ、破壊へと導く、到底俺が太刀打ちできる相手じゃなかったんだ』とヘロインの禁断症状のなかでこう感じる部分がある。
そして訳者のあとがきのなかでRichard  Hell本人から翻訳するにあたり、『ヘロイン中毒をいたずらに魅惑的、ロマンチックに描かないことであり、同時に中毒者を犯罪者として断罪したり人間以下のクズのようにも扱わずヘロイン中毒者の運命として受け止めたうえで、それによってその人間の全てが決定づけられはしない状況を描きたかった』とメールを貰ったそうである。

Richard  Hell本人が処女作の中で書きたかったことは、架空の小説で自分の過去を罰したり、ドラッグの服用禁止を訴えたり、周りを罰したりするのではなく…それを選択したのは自分自身であり。誤りだと気づけばやり直せばいいだろう…と言ってるように想う。

なんだか読んでいるうちに最近悩みっぱなしの自分自身から、主人公ビリー=Richard Hellのコトバといまの自分が重なる部分があるように思われてきた。小生はジャンキーでなく対象的なストレート・エッジなのだが。パンクだから読むべきとか、そういった本ではなく少しでもRichard Hellを知ってるなら読んでみて欲しい。


もし本書を読まれるなら、一気に読むことを推奨致します。

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