2019年3月7日木曜日

悪の読書日記 禁色 三島由紀夫(著)

2019年  3月  7日

80年代英国のロックバンドであった『ジャパン』のデヴィッド・シルビアンというヴォーカリストの愛読書は三島由紀夫の『禁色』だそうだ、三島由紀夫を尊敬するミュージシャンは多く、ストラングラーズのJJバーネル、ビヨーク、イギー・ポップ、44マグナムの広瀬さとし…などあとを絶たない。
しかし、外国人がよくこの三島由紀夫などという作家の難しい本に感銘をうけるのかよく解らなかったりする。



それが『禁色』なんていうかなり長い長編小説になるとなおさらである。
日本人の小生が読んでいても難しい言葉や表現がでてくる。
それは難しいという表現は極めて相応しくなく、なんという表現なのか?と感動させられる文章が多い。『禁色』は読み始めた頃は気にいった表現をメモしたりしてみたが、本を読むノリが悪くめんどくさくなりメモする事を挫折して諦めた。しかし、三島由紀夫は何という表現をするのか、そして何というストーリーなのか、話が進むほどこの話にのめり込んでいく自分がそこにはいた。
こんな素晴らしく美しい表現を英語やフランス語に訳して、この美しい表現が日本語圏以外の方に上手く伝わるのか?伝わっているのか?と疑問が残るが、逆に同じことを英国のオスカー・ワイルドやコナン・ドイルのファンなどの方々は思っているのかも知れず‥‥大きなお世話なのかもしれないが、そんな事は別として『禁色』は小生が今まで読んだ三島由紀夫の長編では一二を争う出来映えである。

表現も美しいが、内容はさらに美しいというのは嘘で、なんという展開の展開!?という話。
よくこんな話を思い付くものだ、政府が人生100年と言って年金制度が崩壊していることから感心をそらす制作の2019年の現在でも65歳はまだまだ働ける時代、引退した女好き老作家65歳の自分を裏切った女性への復讐大作戦として、女を愛せない若い美男の家庭の事情を利用して、50万円(戦後の物価たからかなりの大金)で好きでもない女と結婚させてあれやこれやと利用して復讐していく無茶苦茶なストーリー。

主人公は言われた通り老人の指示されたとおり行動していくが、段々と人間が変わっていく…そして老作家も変わっていく…
何が無茶苦茶かというと、話の殆どというか女を愛せない男が主人公なので恋愛の部分は殆ど男と男…ベッドシーン的なところはちょくちょくでてくる。露骨な表現は全くない。
まあ、 昭和30年代にこんな話が本に出来たものである。

しかも当時は『禁色  第一部』と『第二部』に別れてかつ当時は別々の雑誌に連載されたのち書籍として出版された、その間に三島由紀夫の海外旅行で約10ヶ月のブランクがあったらしい。それでも三島がこの第一部の続編第二部を書き続けることが出きるのは…これぞ三島由紀夫の表現力の実力であり、それだけのだれにも文句をいわせない美しい表現で美しい文章で読み手を圧倒させていけるからだろう。その力は三島が死んで50年近く経ったいまでも読んでいて健在である。


個人的に三島由紀夫のストーリーは最後の最後に『あれ~』って、感じのあと味を残して終わるというか、いい表現かどうか解らないが、作者が読書を良い意味で裏切りような展開。またはそう思わせる感じがして終わると思っている。今回はどうやって俺を裏切ってくれるのだ!? 悠一、俊輔?よ!と、残りのページが後僅かになると、俺の心がそう叫ぶのである。

そして今回も…

そして読み終えた後の複雑な気持ちが複雑なのである。この2週間程度のこれを読んでいるとなんだか不思議な気持ちになる、いい感じの感覚が明日からは無いのである。
なんか、心が空白なのである。しかし、いまからこれを再読するパワーは今はない。もう少し時間が欲しい。

この本を愛読書としてる人々は、もしかして俺と同じ『不思議な』気持ちをいつも持ちたいからこの本を愛読書にしているのではないだろうか?
そうであればこの本はコトバの麻薬、ドラッグであり常習性があるのか…やはり無茶苦茶である。

今回も三島おそるべし。


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