2020年4月12日日曜日

悪の読書日記 大衆の反逆 オルテガ・イ・ガゼット(著)

2020年 4月 12日
本書は第一世界大戦後1930年に書かれた文献である。
後に著者オルテガが経験した第二次世界大戦、ナチスの暴走。大東亜戦争での原爆の使用などの報道の後に書かれていたなら表現は大きく変わったであろうと考える。だが内容の本質はそれほど変わらないのではないだろうか。



「大衆」は今も変わっていない、
『人間を最も根本的に分類すれば、次の二つのタイプに分けることができる。
第一は、自分に多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんら特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外の何者でもなく、したがって自己完成へ努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である。
中略
つまり自分の人生に最大の要求を課すか、あるいは最小の要求を課すかである。したがって社会を大衆と優れた少数者に分けるのは社会階級による分類ではなく、人間の種類による分類なのであり、上流階級と下級階級という階級的序列とは一致しないのである。(抜粋)』

結局、我々人類は1930年以降、何も変わらず2020年も風のまにまに漂う浮標の様に流されているのではないだろうか・・・・と思う日々。しかし、この本はそういったことを書き綴った文献ではない。
大衆が反逆を決起し、これまでの風のまにまに漂う浮標から脱するのはありえるのか、この今。
自分自身どうやって生きていくべきがと日々でなく、一日何回も考える日常である。

今日現在の今の日本での本当の敵は新型コロナウィルスなんかでなく、今の社会状況であると考える。
本書の『慢心しきったお坊ちゃん』の時代、まさにこれなのだ。本書では貴族の世襲となっているが、この時点で普通の人間であれば何を言いたいのか想像がつくはずである。
いわゆるこういったタイプの人が国家の舵取りをすると危険極まりないということである。
どうして日本ではこういった人々が国家の舵取りをしているのだろうか?

簡単な話、
大衆は反逆せず、風のまにまに生きているからだろう。
その割には文句だけを言い続ける、選挙にも行かないのに。
反逆をするのは今しかないだろうと思うのだが。

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