2020年5月24日日曜日

悪の毒書日記 ロックンロール・ジプシー 二井原実(著)

2020年 5月24日

「ぼくはロックで世界をみた」というサブタイトルの世界を股にかけたメタルバンド「ラウドネス」のヴォーカリストである二井原実氏の昭和63年に宝島はJICC出版より発売された「ロックンロール・ジプシー:ぼくはロックで世界をみた」である。何十年も前から読みたかったが、既に入手困難、高額になっており、先日メルカリで安価で見つけて購入した。


80年代前半から海外と日本で活躍するメタルバンド「ラウドネス」のヴォーカリストがヨーロッパ、アメリカをレコーディングやライブツアーで廻り、体験したことを纏めた内容である。この本を二井原氏に書くように奨めたのはあの某有名ロック雑誌の編集長もやっていた水上はるこ女史であり、「新ロンドンへ行きたい」という本で小生をロンドンまで行かせてしまった人物であるというのが、前書きとカバー後側で解った。

昭和63年という当時はバブル経済の後期の日本でありながら、海外で活動する日本のミュージシャンなんて、ラウドネスと近藤等則氏くらいしか居なかった時代である。しかも一般市民にはインターネットの無い時代である。偶然にも当時アメリカでLAメタルなんてブームがあって、アメリカのレコード会社が世界中の実力のあるメタルバンドを探していて、ヨーロッパのレコード会社と単発契約していたレコードを聴き、たまたまLAでのラウドネスのライブを観たというアトランティックレコード会社の人が、「こいつらは凄い!」と日本のラウドネスにアプローチしてきたというのが、アトランティックレコードとの契約に至るスタートだったそうだ。レコード会社でも過去に前例が無いことだったので、日本のレコード会社もどう対処したらいいのか解らなかったくらいの話だったそうだ。当時はレコードの輸出はしていたらしいが、日本のミュージシャンが海外の大手レコード会社と契約することなんて想定の範囲外であった。このレコード製作においても日本とアメリカのレコード会社のやり方が全く違うのだが、この点については本書で著者が十二分に説明されている。


レコード会社は利益の為にレコード作るという目的は日本もアメリカも同じだが、過程や考え方が全く違う。アメリカはちゃんとしたボス(プロデューサー)を置いて、良い売れるレコードを製作出来るプロデューサーを中心に制作する。ここにはレコード会社は一切口を出さない。確かにアメリカは購入人数が遥かに日本とは桁違いに異なるのだが、それにしても日本のレコード会社との考え方の隔たりは大きい。これは今もあまり変わってはいない気がする。
例えば、現在日本で製作・発売されている音楽は発売後にカラオケで歌われて金を稼ぐことを重視されているので、カラオケボックスでの曲の回転率を上げる為に長すぎるイントロやギターソロなどは好まれないというのが現実らしい。ミュージシャンや製作者の良いものを作りたいという意思はあまり反映されておらずレコード会社主導で音源が製作されているのである。
やはり購買人数の桁違い差と国土面積から考えるとアメリカのレコード会社のレコード製作における考え方は正しいし、日本でいくら売っても・・・という日本のレコード会社の人の反論はあるだろうが、これまでロックを聴くのは中高生、大学生としか考えてこなかったので購買人数を増やせなかったというところは反省すべき点であり、自ら首を締めていたということだと思う。


さらに海外ライブツアーの話が本当に凄い。いわゆるフロントアクト、スペシャルゲストと言いながら前座で大物ミュージシャンと全米を廻るのだが、前座の為に殆どサウンドチェックも出来ない状態で一発勝負でほぼ毎回演奏するらしい。客入りの中で機材のセッティングをスタッフがやっている事もあるそうだ。ステージはメインのミュージシャンのセッティングの前方に前座である自分たち機材を並べるので、それ程広くなくむしろ狭い中で演奏をやらなければいけず、何から何まで相当大変だったそうである。しかも、モトリー・クルーと一緒に廻ったツアーは良かったが、AC/DCとは最悪だったらしく、客の態度が最低だったらしい。以前、同じ職場にいたラウドネスの熱狂的ファンの同僚によると、ギタリスト高崎晃氏がAC/DCのギターリストより遥かにギターが上手すぎるので客にブーイングされたという話を聞いたことがある、その同僚に借りたラウドネスの海賊版ライブビデオはステージに爆竹を投げ込まれていたことから、やはり当時は「なんで日本人がロックやってんねん?!!」みたいな風潮が大きかったのだろう。
本書は最初に書いた通り昭和63年つまり1988年の本である、今とは世界情勢も全く異なるし、生活形態も全く異なる。だからと言ってこの本が決して古臭いというのでなく、また懐かしいという感じもあるのだが、実はそれ程頻繁にそれは感じられない。なぜなら、これはこうだという著者が得た情報や知識を中心に書いたものでなく、著者の感じた気持ちが優先されて書かれているからだ。多少は著者の脚色があるにせよ、本書で語られているのは、日本という小さな島国で生きていると知らないことが多すぎるということだ。たとえ現在の様にインターネット云々で世界の出来事がリアルタイムに地球上に配信される事があってもそれは単に情報でしか無く、自分の体験や経験ではないので本質はなかなか伝わりにくい。売る側からみれば、本書はタレント本といえばそうなかもしれないが、感情的な部分を読みとることでこの本は単にタレント本では無いことが簡単に解るはずだ。

時はバブル経済の後期であったのだが、日本の電化製品は世界中で売れまくっていたが、結局日本の文化は殆ど海外で広まらずであった。そういえば本書でアメリカの寿司屋の話が出ていたが、いま日本の美容師と寿司屋は海外で稼げる職業である。

数年前に発売された二井原実氏の著書「singer」には、これ以降の事が詳しく書かれている、立ち読みしただけなのだが・・・世界的なメタルブームは数年後には終焉を迎え、ある日二井原氏がレコード会社へ行くと知り合いのレコード会社社員はだれも居なかったそうである。

それがアメリカの会社、レコード会社なのであろう。だから売れるレコードの製作には必死なのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿