2020年5月3日日曜日

悪の毒書日記 ジャズの前衛と黒人たち 植草甚一(著)

2020年 5月 3日
十数年前に職場の上司より頂いた植草甚一の「ジャズの前衛と黒人たち」、頂いたときは急いで読む気持ちに至らず最近になって読みだした。内容は小生の大好きな領域にもかかわらず、積ん毒(読)ならぬ天井裏へ禁錮刑であった。最近やっと真面目に本書を手にとってみたのだが、1967年の発行で本書は初版ではないが1970年に発売された10回目の増刷本であり、ちょうど50年前である、上司は現在七十歳近くで、本書をよく見ると当時の上司の蔵書サイン入りで、購入したのは1970年の6月当時塚口駅前にあった書店と思われる・・・いや大阪市内の書店か?の様である。さらに、愛読者カードは昭和45年10月まで有効ときた。



先日、本の読み方を教えて頂いた師のブログに、「本のこと、読書のこと」・・・というテーマの時に『読まねばならないという強迫観念から脱した時にはじめて読書の意味がわかる。見て選び、装幀やデザインを味わい、紙の手触りに快さを覚え、書棚の背表紙を眺めることもすべて読書だということ。(中略)急ぎ足で読むことはない。速読ほどさもしくて味気ない読書はない。著者が一気に書き上げていない本をなぜ一気に読まねばならないのか。』と書かれていた。
昨今の出版社不況の中、出版業界にもてはやされているのは、読書を進める有名人よりも多読、速読を薦める有名人を出版社の垣根を越えて担いでいるいるのがよく解る。それだけ本が売れていない、いや売れる本が無いのだと思う。もう速読なんどは御免だ、これからの人生はじっくり読書生活に浸るのである。

50年以上前に出版された、植草甚一氏の「ジャズの前衛と黒人たち」はどうやら、著者の初の単行本で、以降の著者の出版数は相当な数である。植草氏の文献のテーマは音楽、ジャズに限らず映画やミステリー小説・・・フランク・ザッパなどへと至る。しかもジャズを聴きだしたのは50歳手前で、71歳でお亡くなりになるまで二十数年しかジャズを聴き込んでいないにも係わらず、これだけの文献を書き、あれだけの書籍を出版できるのである。お亡くなりになられた時は古本屋数件分の蔵書があったそうである。しかも積ん読状態で。その写真をネットで見る限り、我々が積ん読してしまっているとか、アマゾン・KINDLEの中に積ん読してるなどというのは、植草氏から見ると幼稚園以下のレベルであり、鼻で笑われたら、笑われるだけ幸せだろう。

そんな方の本を、一気に読むのは明らかに著者の気持ちを反しているのではないかと前述の師のコトバを読んで感じた。本書を上司に頂いて約十年放置という熟成を得て読み始めたのも、これは何かの「縁」ではないが、「偶然」ではなく。本とはそういうものなのであろう。師の言うとおり、「著者が一気に書き上げていない本をなぜ一気に読まねばならないのか」である。しかも本書は40項目に分かれている。読んでも全く知らないミュージシャも出てくるが、中盤以降の話は個人的に格別に面白い。実は本書をすべて読んだワケでもなく、最初から読んだワケでもない。目次を見て、読みたいと思う、興味のある章を選んで喚んでいる。

特にESPレコードの話は格別である、あのESPレコードである!、サン・ラーのライブアルバムでピンぼけ写真をジャケットに採用するあのESPレコード。元々レコード会社はメインのミュージシャンにだけしか印税は払われて無いのが常だったが、サイドのミュージシャンへもレコードが売れたら支払をする仕組みをESPレコードは始めたそうである。創業者は本職が弁護士だということも面白く、ほとんど本職の弁護士の仕事はしていなかったらしい。また、本書では大好きなオーネット・コールマンや、セシル・テイラー、アルバート・アイラーの話題がよく出てくる。オーネットがハーモニーの研究をやりはじめたとか・・・そのきっかけはとか、ファラオ・サンダースという新人のミュージシャンが・・・などと実に面白い。しかし、尊敬するサン・ラーの章はさらに格別面白いのだ。今だから言えるのだが、サン・ラーは本人たちも管理できないくらいの音源をリリースしているのだが、自らの自主レーベルでも同じ盤でジャケット違いは常で、ほとんどが家内制手工業でメンバーが封入したりしていたとか、その為印刷の手配やなんかの関係で品質管理はアナーキー状態である、中身とジャケットが番うのもあったりしたそうである。さらにサン・ラーは海外ツアーなどでは現地で資金難になることはよくあることで、その都度その時にライブレコーディングしたテープを現地のレーベルに売っては活動資金としてグループを運営していた。その結果、色々な世界中のレーベルから計り知れない量の作品が発売されていて、本人達は解らずで現在では熱狂的な研究者による研究文献とネットの誰か知らない人が作ったDISCOGRAPHYが最新情報となっているのである。
また、今では「前衛」などとあまり言われないが、当時はアヴァンギャルドというよりも、前衛という言い方が主流というのはおかしいが、常だったと思う。頭脳警察の曲のタイトルに「前衛劇団”モータープール”」というのがあるくらいだ。タイトルは「ジャズの前衛と黒人たち」だが、それほど前衛的なミュージシャンが出てくるわけではないが当時はそれが前衛だったのだろうが、マイルスやなんかも出てくるのが、1967年以前のマイルスはまだ電気化前夜で、いまでいう普通のセンスが抜群のジャズであるが、これから面白くなるという以前のマイルスである。70年以降に植草氏が電気マイルスをどう感じたのか、植草氏の文献を探してみたい気もする。
植草甚一のコトバは、まさに「音が聞こえてくる文章とはこのことなのだ」と言える。文章のなかに、ジャズ喫茶で「勉強」と表現しているのだが、何の勉強なのか?と考えたが、それほど深く考えなかったが、「あとがき」にはジャズを聴くのは勉強とのことである。

読書を勉強だという人も居るが、それは人それぞれであり、ジャズを聴くのが勉強かといえばそれも人それぞれである。

趣味として読む、聴くのと、自分のなかで研究対象として読む、聴くのとは区別しているのであるが、植草甚一氏の文書を読むのは前者であり趣味である、そして日々、オーネット・コールマンは勉強、研究対象として聴くが、ジョン・ゾーンは趣味として聴いて楽しんでいるのである。

ESPレコード、アルバートアイラー共に名盤である一枚。





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