2019年2月17日日曜日

悪の読書日記 お嬢さん  三島由紀夫(著) 

2019年  2月  17日

日本語の歌(曲)やコトバが、何とか普通に脳ミソに入ってくるような日々に戻りつつあり、小説(物語)・・・しかも日本語のストーリーに身を委ねることも出来るようになってきた。身を委ねるとは大げさな表現である。が、三島の作品とはそれほどの物だと言えるというかそう思っている。三島由紀夫の初期というべきか、いわゆる戦後1950年代に書かれて新聞(しかも朝日)や雑誌に連載されていた軽い小説は精神状態のリハビリとしては最適といえる。三島テイスト(表現としては失礼な表現で申し訳ない)があるちょっと変わった恋愛小説って感じかと。日常のこんな精神状態でいきなり後期の超大作『豊饒の海』などは恐ろしくて、本屋で平積みされている『豊饒の海』が目に止まる事が嫌悪感ありなのである。



三島由紀夫の『お嬢さん』は戦後直後という時代の話で、焼け跡そのままの土地というような表現が出てきたり、赤電話が出てきたりと自分自身が生まれるかなり前の話で、ちょうど高度成長期に突入する頃の話しであると感じる。
話は極めて簡単に書くと、大手企業の取締役部長さんの娘であるお嬢さん「かすみ」と、かなり遊んでいると思われる男性、「景一」が結婚する話、結婚した話である。
その主人公の一人、景一の貯金が「15万円」もある!という表現があるように、現在の2019年と物価が相当違っている。今の10代の若者がこれを読んで話に付いていけるのか?どうか、少々心配になる。が、そんなもん心配する世界ではなく、他人のことより自分の心配が先なのであるが・・・心配というより、物価の違いなどについて理解しているのだろうか?。しかし、10代で三島のこの小説を読んだりする人は文学部の学生か余程の物好きな奴である。学校の先生が夏休みの宿題の課題図書にこれを選ぶことはありえない。反面教師で読ませると面白いのだが、それは国語の授業でなく現代社会の教材には適している。なんせ結婚する前に相手の身元調査とか普通でやってしまってるのである。

この小説が凄いというのは前述の昔々を思い出すという点でなく、主人公の二人の結婚生活が段々と変な悪い方向へ進んでいくのだが、それを解決に導き、解説をする人物が「おやっ?」と思わせるストーリー展開なのである。なんでこの人がここで出てきて話を解決に導くのか?これは最初からこういう話にしていくつもりで三島が計画していたのか?それとも連載していた雑誌の編集から「先生、そろそろ話を終わってもらえませんか?」と言われて考えたアイデアなのか、どちらにせよお見事なのである。
世の中には、よくもこんな軽い小説を三島のくせに書きやがって!!と思う人も居るかもしれないが、それは今現在から観察した話で、リアルタイムの評論ではまた違っていたのでは無いだろうか。
そんなことよりも、三島のこんな軽いストーリーの小説と他の有名な重いストーリーのギャップを楽しうほうが健全である。

ちなみに掲載されていた雑誌は『若い女性』という、講談社の雑誌である。雑誌名からして、いま考えたら笑える、子供のころ家に母親が読んでいた「ミセス」という雑誌があったが、今もあるのかどうか・・・・やはり時代を感じさせる名作である。

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