2019年4月21日日曜日

悪の読書日記 一瞬で自己肯定を上げる「瞑想法」 綿本彰(著)

2019年 4月 20日

実は4月1日から毎朝瞑想をはじめました(朝にやらないない時もありますが)。ほぼ平日は毎朝5時半頃から瞑想を20分〜30分程度やっています。
これまで何冊か瞑想に関する本を読んできて、過去に何度か日々瞑想をやってきましたが長続きしませんでしたが今回は既に3週間経ちました。過去最長です!
これからも問題なく継続できそうな気がします・・・あと三ヶ月は多分。



今回読んだ『一瞬で自己肯定を上げる「瞑想法」 綿本彰(著)』・・・瞑想の方法などは全体の1/4〜1/3程度、あとは自己肯定について書かれています。

瞑想についてはページ数が少ないながらも、内容は濃く。これまでの読んだ本では書かれていなかった「瞑想に失敗はなし」と。殆どの書籍とは異なり、ハードルが低く優しい内容です。
しかし、そもそも瞑想に成功、失敗などという事はなく、さらに言えばマントラを唱える事すらルールや方法の手順としてはどうでもいい感じがします・・・。

瞑想の目的や、日々続けることを考えても、マントラを心で唱える事は、マントラを唱える事で雑念を退けて集中するということ考えれば、マントラを心で唱えず、他に雑念を退ける方法があればそれを使えばいいわけです。
そもそも正しい、手順やルールなどは瞑想に存在しないと断言したい。そして瞑想しても「引き寄せる」ものは何も生まれないと。


本書の本題であります『自己肯定』。私自身、自分自身を肯定する。
正直、小生は自己肯定が低いです。自分が好きではありません。後悔、後悔、後悔、後悔、断罪、斬罪、断罪・・・というのは小生がよくfacebookのタイムラインで使うコトバですが、正直この通りなのです。あの時のあれが、あの時のあの行動が、もう少しこうやってあの人に接していればと。自分が好きでない理由です。
過去に 縛られすぎです。縛られすぎなのかどうかは別として、自分の記憶から悲しい記憶や失敗した時の嫌な行動の記憶、どうでもいい記憶が消えません。どうして子供の頃に日曜日に朝から観ていたテレビアニメの提供スポンサーを覚えているのか?など、頭の中からこういったどうでもいい消去して最適化してフォーマットしてしまいたい断片が大量に残っています。50歳にもなって残っている記憶は、死ぬまで残っているはずです。

しかし、どうしようもない・・・P.K.ディックの短篇小説では無いのだ、記憶を簡単に消したり購入したりは出来ないのだ。

この本には自分を肯定する為のポイントが書かれていました
1.死ぬまで自分自身とつきあっていくしかない。
2.肯定出来る容量(キャパシティ)には限界がある。
3.無理に気持ちを切り替えない、自分自身を認める

つまり、どうしようも無いから、今を真摯に生きるしかない。

そして、自分だけでなく他人を肯定するべきであると。

話は元に戻りますが、瞑想する目的はここにあると
『気づく』こと、これまで気が付かなかった自分に気づくこと、周りに気づくことで全力に今を生きる事ができるのだと。残念ながら一瞬で自己肯定はあがりません。一瞬で上がるなら苦労はしません。

引き寄せるのでなく、今までそこにあった事、それに気がつくのだと。

瞑想と迷走の生活はまだまだ続くのですよ。



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